攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

八上城 の検索結果:

細川玉子さんによる京都御城印サミット開催レポート(2日目)

…県篠山市にございます八上城と共に、丹波三大山城のひとつといわれております。 内藤氏が足利尊氏より八木の地を賜り、八木城を築城したと伝えられています。室町時代になると、細川氏が丹波を領国として守護するようになり、内藤氏を丹波守護代として任命。八木城を拠点に、丹波地方へ勢力の拡大を行っていったそうです。その後、父上、明智光秀の丹波攻略が開始。1575年(天正3年)に八木城は落城し、父上の手で城の改修が行われましたが、本能寺の変の後に、廃城となったといわれております。 内藤氏と申し…

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府12代・足利義晴――各地を転々とした、名ばかり将軍 1511年~1550年

… たねみち)がこもる八上城と、弟の柳本賢治(やなぎもと かたはる)がこもる神尾城を攻めた。しかし夜襲をかけられたり内通者が出るなどして、幕府軍はあえなく敗退。加えて、これに乗じた三好氏などの四国勢力が京都に迫ってきたため、義晴は高国らとともに近江に一時避難することとなった。 一方、京都に進出しつつあった四国衆は、義晴の異母兄弟にあたる足利義維(あしかが よしつな)を擁立して高国に対抗しようと企んでいた。これを知った義晴は5、6万人の軍勢をつれて近江国の坂本に布陣し、義維の軍勢…

【本能寺の変の謎の謎】怨恨説は「恨みくらいしか考えられない」から?

…だ。 光秀が担当した八上城主・波多野兄弟との戦いの際、光秀は自分の母を人質として差し出し、兄弟を降伏させた。しかし、信長は光秀の交渉を無視して兄弟を殺したので、城に残された光秀の母も八上城の者たちによって殺されてしまった。 斎藤利三の処遇をめぐって、彼の旧主君である稲葉一鉄と現主君である光秀が対立した際、信長が光秀を咎め、殴打したこと 武田攻めの後、光秀が苦労したと漏らしたのが気に入らなかった信長が折檻した 徳川家康が安土城を訪れた際に光秀が接待役として食事を用意したが、魚が…

明智光秀と明智牧ーーあるいは創作に語られる「母」

…こで問題になったのが八上城の波多野秀治だった。この武将はもともと織田家に味方していたのを裏切っていて、どうにかしなければ丹波の統一はできない。そこで光秀は彼が求めるままに己の母(つまり牧)を人質として差し出し、波多野氏を降伏させた。 ところが安土城へ送られた秀治を信長が処刑してしまったので、八上城に残された家臣たちは牧を殺してしまう。光秀はこのことで信長を深く恨み、ついには本能寺の変へつながる……というわけで、いわゆる怨恨説を補強するエピソードになっている。実際はどうかという…

明智光秀ゆかりの地おすすめ19選

…入り包囲を続けていた八上城を落城させ黒井城も落とし、ようやく丹波を平定。そしてすぐさま細川藤孝と協力して丹波に続き丹後も平定すると信長は感状を出して光秀を褒め称えたと言います。この功績により光秀は丹波一国を加増され亀山城の築城を始め、横山城を修築して福智山城と改名するなど他の家臣が羨むほどの大躍進をしました。 黒井城には家老の斎藤利三を入れ、福智山城には明智秀満を入れるなど、近江から山陰へ向けた畿内の多くが光秀が支配するようになりました。織田家での立ち位置はあの秀吉をも凌ぐほ…

一泊二日で大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地をめぐってきました

…多野秀治の居城である八上城をメインにプレゼンされていました。 丹波篠山市では特設サイトもつくられていて、当日もチラシをいただいたのですが、光秀が八上城に母のお牧を人質に差し出した(そして信長が約束を守らなかったために母を殺されたのが「本能寺の変」の動機となった)という、現在は否定されている説を根拠にされているのが気になりました。担当者の方は「NHKのストーリーに準じている」とおっしゃっていたので、もしかしたら「麒麟がくる」ではこの説が採用されるのかもしれません(まだ後半の脚本…

「戦国武将細川藤孝とその周辺」参加レポート

…て。怨恨説はちがう。八上城の母親を人質に出したエピソードも江戸時代の創作。天下取りの野望説もちがう。信長を討ったあとのビジョンがない。黒幕説は朝廷や将軍、イエズス会などいろいろあるが光秀は誰かにそそのかされて行動することはないだろう。四国説は取次役としての面目をつぶされたからなくはない。 小和田先生は非道阻止説として、信長の非道を止めるために謀反を起こしたと話されていました。信長の非道というのは、たとえば暦の統一だったり、太政大臣・近衛前久への暴言だったり、恵林寺を焼いて快川…

本能寺の変の謎(明智光秀による犯行なのか、黒幕がいるのか)

…。 ひとつ目は、丹波八上城を攻めた際に、城主の波多野秀治は助命を条件に降伏を申し出たのですが、信長がそれを許さなかったために、仕返しとして光秀の母親を殺されたというもの。 ふたつ目は徳川家康を安土城に招いた際に接待役として任命された光秀が、鮒寿司を出して「腐った魚を出すな」と信長の怒りを買い、接待役を解任され、面目を失ったというもの。 3つ目は領地の近江・丹波を召し上げられ、まだ敵地の出雲・石見に国替えを命ぜられたというもの。 ただし、これらは後世の創作のようですね。 主君を…

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