輪郭式 の検索結果:
…ずだった。方形二重の輪郭式平城で「回」の字状の縄張りに、本丸と二の丸、各郭外側を堀が囲む。大手口は石垣を産する慶山へ続き、人夫らが切り出された石を運び出したという。景勝がこの地に城を求めた理由は諸説あるが、水運に適した阿賀川をすぐ西に、周辺の13村を移転させて大がかりな町割を描いており、会津に壮大な新・城下町が誕生していたかもしれない。だが天下人・豊臣秀吉亡き跡の覇権争いで徳川家康と鋭く対立した景勝は、着工3ヵ月ほどで築城を放棄、天下分け目の関ケ原で敗者となり、米沢へと移され…
…分類 梯郭式(または輪郭式)平城 家康にまつわる出来事 公儀普請(天下普請)によって徳川家康が築いた城で、築城技術の最高到達点ともいえる。 歴代城主 尾張徳川家 まとめ 徳川家康による築城技術の最高到達点として、また大坂包囲網の最終形態として名古屋城を築城しました。それまでの尾張の中心地・清須城から、減災や交通の利を考慮して名古屋台地に築城して移転するなど、将来を見据えた築城を見るとき、名古屋城の存在の大きさを改めて感じます。木造復元に向けて課題の多い名古屋城ではありますが、…
…元離宮二条城 分類 輪郭式平城 家康にまつわる出来事 1601年(慶長6年)に上洛時の宿泊所として築城を開始。公儀普請(天下普請)によって西国大名に築城を命じた。 歴代城主 城主は歴代の徳川将軍であったが、江戸にいて不在だったため城代などを置いていた まとめ 二条城は、徳川家康が築いた将軍のための宿泊所であり、儀式典礼の城です。家康が築いた当時の二条城は大きく改修されているため目にすることはできませんが、資料などによりさまざまなことがわかります。単郭というきわめてシンプルな城…
…名 千代田城 分類 輪郭式平城または平山城 家康にまつわる出来事 太田道灌が築いた城を、1590年(天正18年)に江戸に入った家康が改修。天下普請で築城がすすめられ、慶長期、元和期、寛永期と続いた。 歴代城主 家康→秀忠→家光→家綱→綱吉→家宣→家継→吉宗→家重→家治→家斉→家慶→家定→家茂→慶喜 まとめ 家康は将軍宣下ののちに公儀普請(天下普請)によって江戸において大規模な土木工事を進め、江戸城を総石垣で信長・秀吉の城づくりである「織豊系城郭」と、武田流や北条流である東国の…
…状態で残されており、輪郭式縄張りを体感することもできます。さらに、1989年(平成元年)には巽櫓が、1996年(平成8年)には二の丸東御門が、2014年(平成26年)には坤櫓がそれぞれ復元されました。これにより駿府城の本来の姿が見える化され、当時の姿を体感することができます。 復元された東御門は二の丸の東側の出入り口であり、いわゆる「枡形(ますがた)」の門となっています。つまり、方形の区画を石垣と堀で囲み、中堀にかかる東御門橋と高麗門、櫓門、南及び西の多門櫓で構成されています…
…んでいきましょう。 輪郭式(りんかくしき) 本丸の四方を輪のように二の丸が囲み、さらにその外を三の丸がぐるりと囲む形式を輪郭式(りんかくしき)といいます。四方に対して均等な防御能力を持ちます。江戸時代の軍学では理想の形とされました。しかし、城の規模がとても大きくなるのに対して、二の丸や三の丸が思ったよりも狭くなるのが難点です。平城に良く見られる形です。例としては、 山形城 米沢城 田中城 駿府城 二条城 などがあります。 梯郭式(ていかくしき) 本丸の二方または三方を二の丸が…
…ゃくちゃわかりやすい輪郭式ですよね)、ぼくも答えが見えているわけではないのですが、今後ガイドツアーでのみなさんの反応なども踏まえながら、絞り込んでいければいいなと思います。もっともアピールポイントがたくさんあるがゆえの悩みですけどね。 この日も城内にいるのは外国人観光客ばかりでしたが、二条城はほんとに素晴らしいお城なので、もしまだ訪問したことがないという方はぜひ来てください。 年初に開催された大広間三の間の解説会のレポートはこちらです。 blog.kojodan.jp koj…