攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

神流川の戦い の検索結果:

小諸城 織田家の凋落を見ていた城

…回紹介する小諸城は「神流川の戦い」が関係している。この戦いで織田氏の重臣・滝川一益と北条氏がぶつかり、敗北した滝川陣営が逃げたのが小諸城なのだ。その城には一益の家臣・道家正栄が城代として入っていた。 提供:一般社団法人こもろ観光局 | 三の門と月[小諸城] 元々小諸城の周辺は小笠原氏の一族・大井氏が治め、大井光忠によって鍋蓋城が築かれた。後に武田信玄がこの地を支配すると、東信濃の拠点となり小諸城は鍋蓋城を取り込むように、大城郭に改められた。しかし、信長の攻撃によって、1582…

『真田丸』前半まとめ(とこれから起こることを整理)

…ています。 一益が「神流川の戦い」で北条の軍勢に敗れ、その混乱に乗じて昌幸は城を奪い返しましたが、その後、一益のほうから「城を返す」といわれて、この空回りなところも戦国時代の混乱ぶりが表現されてますよね。 もうひとつの「奪回」は一益に人質に取られていた祖母・とりと世話役として同行していたきりの救出です。ここで信繁は失敗するわけですが、まだ若く経験がないことを表現しています。 前半での信繁はほんとに失敗ばかりでしたね(16歳なんだから当然ですが)。 昌幸は海津城に入っている景勝…

真田幸村(真田信繁)ってどんな人?(おもな出来事をまとめた年表)

…6月19日に一益が「神流川の戦い」で北条氏直に敗れ逃走すると、21日に叔父の矢沢頼綱を送り込んで沼田城を奪回し、同時に信幸を岩櫃城に送って上野方面の守備を固める。信繁は一益の人質に、さらには木曽義昌の人質になるも、9月に帰国。その後、昌幸は6月24日頃に上杉家に、さらに7月9日には北条家と臣従先を変えるが、9月25日に徳川家康に従属することを選ぶ。 3月11日、勝頼・信勝父子が自刃し、武田家滅亡。6月2日、「本能寺の変」で織田信長が横死。6月13日、「山崎の戦い」で羽柴秀吉が…

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