攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府14代・徳川家茂――血筋で選ばれた貴族的将軍 1846年~1866年

公武合体政策のために結婚した皇女和宮と徳川家茂のふたりはとても仲が良かったようです。家光の妹・和子と後水尾天皇の仲も良かったと伝わることから政治的な影響はともかく幕府の公武合体は、当人たちにとっては幸せだったみたいですね。

【現在758城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

全国で御城印や御朱印風の登場記念符を配布(販売)しているお城の一覧です。随時更新中で御城印情報がどこよりも詳しくまとまっています。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府13代・徳川家定――趣味は料理の「癇癖将軍」 1824年~1858年

家慶の子である家定は「癇癖将軍」と呼ばれるほど、不安定な将軍で、幕末の混乱を乗り切れる器ではありませんでした。 料理が趣味で、平和な時代ならまたちがった評価だったのかもしれませんね。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府12代・徳川家慶――幕政にかかわらなかった「そうせい」様 1793年~1853年

徳川家慶は歴代将軍の中でもリーダーシップを発揮できなかった人ですが、この動乱期に将軍職についたこと自体がとても不運だったのでしょう。 江戸幕府にとって最大の危機といえるのが彼の時代に起きたペリー来航です。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府11代・徳川家斉――40人の側室、55人の子をもうけた好色家 1773年~1841年

子だくさんでオットセイ将軍の異名を持つ11代将軍・徳川家斉は、在職期間50年と歴代の征夷大将軍の中でも最長記録保持者でもあります。 また秀忠以来となる太政大臣への昇任など記録ずくめの将軍でした。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府10代・徳川家治――田沼時代の将軍は無能か名君か 1737年~1786年

幼少の頃より期待された徳川家治でしたが、自身は将軍として幕政を主導することはなく、むしろ田沼意次に一任しています。本人が優秀だったがゆえに、有能な家臣に任せることを選んだのかもしれませんね。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府9代・徳川家重――言葉が通じず、政治にも興味なし 1711年~1761年

吉宗の子である9代将軍・徳川家重は身体が弱く、また言語不明瞭だったそうです。しかし大岡忠光や田沼意次を発掘、抜擢するなど、知能は正常でむしろ聡明だったとも考えられます。 なお家重には女性説もあるようですね。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府8代・徳川吉宗――幕府を大改革した、強運の将軍 1684年~1751年

TVドラマ「暴れん坊将軍」のモデルとなった徳川吉宗の評価は名君とも、経済オンチとも言われますが、足高の制や大奥改革などのエピソードを見るかぎり、やはり有能な側面はあったのだろうと思います。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府7代・徳川家継――最年少将軍も、治世は続かず…… 1709年~1716年

家宣の子として7代将軍に就任したのが徳川家継です。3歳での就任は歴代最年少でしたが、わずか8歳で亡くなってしまい、これによって徳川宗家が断絶し、御三家から新将軍を迎えることになります。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府6代・徳川家宣――短い治世ながら、英才を活用した名君 1662年~1712年

優秀さの片鱗を見せつつも、わずか数年で病没してしまったのが徳川家宣です。生真面目で礼儀正しい家宣は前将軍・綱吉の「生類憐みの令」を民のために廃止しつつも、自分は守ると綱吉の棺に話しかけたといいます。

最上義光が山形城に瓦葺きの本丸御殿を築いた理由

最上義光が山形城に瓦葺きの本丸御殿を築いた理由について、いちなんさんがその考察を寄稿してくださいました。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府5代・徳川綱吉――生類憐みの令を発した犬公方 1646年~1709年

徳川綱吉による「生類憐みの令」は犬などの動物だけでなく、人間もその対象でした。天下の悪法として綱吉の死後に廃止されましたが、捨て子や病人の保護などはその後も継続しているようにすべてが拒絶されたわけではなかったのです。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府4代・徳川家綱――安定期の病弱将軍「左様せい様」 1641年~1680年

家光の晩年の子である家綱は、いわゆる大御所を置かず、若くして将軍に就任しています。彼の時代に起きた由井正雪の乱と明暦の大火というふたつの出来事は幕府の方針や江戸の町づくりに大きな影響を与えました。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府3代・徳川家光――江戸幕府を完成させた生来の将軍 1604年~1651年

「生まれながらの将軍」である3代・家光は唯一、将軍の正室の子として将軍職をついだ例でもあります。彼が将軍の時代は幕府の財力も豊富であったため、かなり強い権力を誇示することができました。

【歴代征夷大将軍総覧】江戸幕府2代・徳川秀忠――若き日の過ちを堅実さで挽回 1579年~1632年

秀忠は「関ヶ原の戦い」での遅参を理由に評価が低くなりがちですが、江戸幕府が265年におよぶ長期政権として成立したのは秀忠の貢献が大きいのも事実です。

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