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【家康の謎】家康の死因は?

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榎本秋の家康の謎

大河ドラマ「どうする家康」はいよいよ大坂の陣による豊臣家の滅亡と、広義の意味での戦国時代の終わりへ向かっている。
しかし、この連載ではあえてひと足さきに家康の死にまつわる幾つかの物事について紹介する形を取りたい。何しろ戦国時代を終わらせ、太平の江戸時代を招いた男であるから、その死の前後の事情については語るべきところが多すぎるのだ。
今回はそのうちのひとつとして、家康の死因にまつわる話をしたい。

家康は豊臣家を滅ぼした直後の1616年(元和2年)、駿府城でその75年という当時からすれば驚異的な長寿の人生を終えた。
直接的な死因として通説で語られるのは、死の3ヶ月前に鷹狩りへ出かけた際、現地で用意されていた珍味――甘鯛と大鯛の天ぷらである。これは当時の上方で流行っていた料理であったらしく、家康と縁の深い商人である茶屋四郎次郎も勧めたので、家康は大いに天麩羅を食べた。ところがそのせいで食中毒を起こし、夜には具合が悪くなってしまった、という。

その後、家康は侍医の片山宗哲(かたやま そうてつ)による治療が功を奏して一時的に回復、駿府城へ戻って療養を続ける。ところがその後もなかなか良くならず、あるいは歩けるくらいまで回復しても悪化し、ついに家康はこの世を去るに至るのであった。
なお、天ぷらによる食中毒説については、近年では間違いであると考えられるようになっている。では本当の死因は何かといえば、胃癌であろうというのが近年の有力説だ。

あるいは、別に想像する余地もある。
先述した通り、鷹狩りの途上で不調になった家康を一時的とは言え回復させたのは侍医の片山宗哲であった。ところがこの片山、その後に家康の怒りを買って失脚させられてしまっている。
何をしたのかといえば、家康に「薬を飲みすぎだからやめた方がいい」と諫言したのである。この頃、家康は万病丹というあらゆる病気に効く薬を飲んでいたが、その量は本職の医師の目からすると多すぎるものであったようだ。薬も度を過ぎれば毒になる……と片山は説いたのだろう。
しかし家康は聞き入れず、片山を遠ざけてしまった、というわけだ。

家康が医学・薬学にも詳しく、自ら薬を調合していたことはよく知られている。
それでも、家康は本職の医者ではない。素人が勝手な判断で薬を飲み過ぎ、あるいは飲まずに、結果として体調を悪化させてしまうのは現代日本でもよく聞く話である。
自家製の薬に自信を持っていた家康が、医者を遠ざけ、薬を飲み過ぎ、そのことが彼の体を弱らせ、直接ではなくとも間接的に死因となった……というのは、いかにもありそうな話ではないだろうか。

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