お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!
…のだから。 丹羽家は二本松藩に定着 ようやく再興の機会が訪れたのは1603年(慶長8年)のことである。この年に征夷大将軍となった家康は、前述した前田利長に加え、やはり以前から長重と親交のあった自らの嫡男・秀忠からの働きかけに応えて、彼を常陸国は古渡1万石の大名として取り立てる。この国には江戸時代を通じて基本的に親藩・譜代大名が多く配置されており、その中で丹羽家という外様大名が一時的ながらも置かれたところに、家康の長重に対する評価を垣間見る向きもある。 その後の長重は大坂の陣で…
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。