攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

五七の桐 の検索結果:

特別展「桃山─天下人の100年」の後期展示を見てきました

…のですが、大広間は「五七の桐」で、黒書院は「九七の桐」になっているのです! 大広間の釘隠し 黒書院の釘隠し しかも黒書院のほうは真ん中に「雲に龍」も彫られていて、明らかに大広間のものよりも豪華につくられています。二条城の二の丸御殿は大広間を最高格式として、だから棟梁の狩野探幽が障壁画を担当したと聞いてきただけに、釘隠しの格式は黒書院のほうが上? とちょっとぼくもまだ理解が追いついていないのですが、機会があれば二条城に聞いてみようと思います。 図録の解説によれば、黒書院のほうは…

五三の桐、五七の桐は知ってるけど、九七の桐とか五五の桐とか知ってた?

…というと、五三の桐、五七の桐が有名です。 これは上図のとおり、花の数が3-5-3になっているのを「五三の桐(五三桐)」、5-7-5になっているのを「五七の桐」と呼んでいます。(なぜ三五の桐や七五の桐と呼ばないのかは不明) 秀吉はもともと「沢瀉(おもだか)」の家紋を使っていたといわれていますが、織田信長から桐紋の使用を許されたため、以後は桐紋を使用しています。おそらく武家出身ではない秀吉は自らの家紋を持っていなかったので沢瀉紋も由緒があっての使用ではないと思うのですが、だからこ…

紅葉の名所、大徳寺高桐院にいってきました

…門には九曜紋とともに五七の桐門がありますね。 忠興とガラシャの墓石に使われている石灯籠はもともとは千利休が愛用していた灯篭でした。豊臣秀吉もこれをほしがったそうですが、利休はわざと欠けさせて秀吉に渡さなかったという逸話があります。その後、利休が切腹の際に忠興に贈られました。 忠興以外の細川家当主の墓はこちら。 高桐院には歌舞伎の創始者といわれる出雲阿国の墓と、その阿国の恋人とも夫ともいわれる名古屋山三郎の墓もあるのですが、現在は立入禁止だそうです。 墓所の手前には三斎井戸と呼…

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