攻城団ブログ

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【家康の謎・番外編】十八松平と十四松平、あるいは徳川家康のルーツとは

…だ。 竹谷松平は三河吉田藩3万石になったが跡継ぎなく廃絶され、庶流が5000石で残った。 形原松平は元和年間に加増されて1万石になり、最後には丹波国亀山藩5万石になった。 大草松平は三河一向一揆に加担したせいで一度所領を奪われてしまうが、松平康安(やすやす)の時に家康の嫡男・信康の家臣として復帰する。しかしこの家系は家光の弟・忠長付きになった際で連座して所領を没収されてしまい、今度は水戸徳川の家臣になるも最後には後継なく断絶ということになった。 五井松平は天正年間の関東入部の…

7.寵臣の出世と末路

…死後、牧野家は三河国吉田藩8万石、日向国延岡藩8万石、常陸国笠間藩8万石と転封している。。 間部詮房 間部詮房は6代将軍・家宣と7代将軍・家継のもとで側用人を勤めた人物だ。家宣は綱吉の甥であり、綱吉の養子になることで将軍家に入ることになった。詮房は家宣に仕える陪臣だったのだが、ここで直参となる。その後、家宣に取り立てられて側用人になるのは柳沢吉保とまったく同じパターンだ。最終的に詮房は老中次席の家格と、上野国高崎藩5万石の大名の座を手に入れる。ちなみに彼の父親は猿楽師(能役者…

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