攻城団ブログ

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大村家 の検索結果:

【戦国時代の境界大名】大村氏――初のキリシタン大名家として、せめぎ合いのなかで生き残る

…に遡るとしていた(『大村家譜』ほか)。だがこれは同じく純友の子孫を名乗る有馬氏と同じく、信憑性に欠ける。大村氏は彼杵郡においては群を抜いて強い力を持ったが、しかしそれは天下に覇を唱えるどころか、肥前という狭い地域でさえ確固たる力を持つほどではなかった。そのため、戦国時代には長く近隣の有馬氏に頭を押さえられ続けた。 例えば大村純伊(1459―1537?)は有馬貴純によって領国から追われ、貴純の娘を妻に迎えることを条件にようやく戻ることができた。また、その純伊の子の大村純前(?―…

【江戸時代のお家騒動】大村藩の御一門払い 藩内の抵抗勢力を一掃する

…字の如く、藩主である大村家が庶家一門(=御一門)の領地を強制的に取り上げて、追放したのである。大村氏は、藩が成立する以前からこの地の在地領主であった。1587年(天正15年)に行われた豊臣秀吉の九州征伐ののち本領を与えられ、藩が成立する。初代藩主は大村喜前だ。 ところが、それから間もなくして発せられたバテレン追放令と、秀吉によって長崎を没収されたことが、大村氏に大きな壁として立ちはだかった。長崎は日本最初のキリシタン大名として知られている大村純忠が開いた港だ。大村氏はこの長崎…

5.支配者としての大名たちの苦悩

…して、肥前国大村藩・大村家がある。この家は戦国時代より大貿易都市・長崎を領有し、その富によって大いに潤っていた。しかし中央政権に服従する過程で長崎を失い、これに代わる財源を必要としていた。そこで大村喜前の息子、純頼の発案で実行したのが、約2万7千9百石の所領のうち約8千石を占める大村一族15家の所領を強引に没収することであった。これを「御一門払い」という。この処置によって大村家の力は飛躍的に高まり、一門衆の発言力は弱まって、近世大名的な大名・家臣の力の構造がつくられることとな…

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