攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

富田信高 の検索結果:

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑤――勇ましくも美しき女武将の活躍した城・安濃津城

…原の戦いの頃の城主・富田信高(とみた のぶたか)は、もちろん豊臣家臣だ。しかし、どうやら西軍の中心人物である石田三成との間に確執があったらしく、家康に従って東軍に属し、謀反の疑いをかけられた上杉氏の征伐にも参加している。三成が挙兵をすると、信高ら伊勢の城主たちは西軍の侵攻を警戒し、家康の命を受けて帰国することになった。実際、安濃津城はすぐさま毛利秀元(もうり ひでもと)の軍勢に囲まれてしまう。この際、上野城主・分部光嘉(わけべ みつよし)が自分の城を捨ててまで安濃津城の援軍に…

【戦国を彩る名軍師たち】木食の苦行を経て、秀吉を支えた僧侶――木食応其

…う。 これ以後、木食はたびたび秀吉の外交交渉に携わり、戦を鎮めた。その代表例が九州征伐に際しての、島津氏との交渉であった。秀吉死後の1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いに際しても、富田信高や京極高次が西軍に降るにあたって仲介を果たした。ところが、西軍が敗れたために戦後に罪を問われ、以後は隠遁生活を過ごした。彼が秀吉に力を貸し続けたのは、天下統一を達成させることでこれ以上の血が流れるのを防ぎ、人々を救うためであったという。 初出:『歴史人』ウェブサイト(2014年10月27日)

安濃津城 女武者が守った城

…出した。安濃津城主・富田信高もそれに加わり、上杉氏征伐のために兵を出した。 ところが、宇都宮にいた信高は挙兵した西軍が安濃津城を取り囲んだという一報を受け取る。それを知った信高は西軍の包囲網を突破して居城へと引き返している。 取り囲む西軍は3万あまり、対する安濃津城側はわずか1700だけ。戦う前から結果は見えているような状況だったのだ。 信高が討ち死にを覚悟した時、ひとりの美しい若武者が目の前に現れた。若武者は片鎌の槍を持って敵兵を倒す活躍を見せたが、信高には見覚えがない。家…

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