攻城団ブログ

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岡本大八事件 の検索結果:

【戦国時代の境界大名】有馬氏――内憂外患を周辺大勢力の力で乗り切る

…たのである。これを「岡本大八事件」と呼ぶ。 晴信は日本と異国の境界に立つことで力を得て、また境界大名らしい強者との関係性によって生き残ってきた大名だ。だが、少なくともこの一連の事件においては、彼の立ち回りは小賢しく、己の首を絞めたといえよう。しかし、有馬氏そのものが改易、ということにはならなかった。晴信の子・直純が後を継ぐことを許され、直純はのちに1万3千石を加増されて日向延岡へ移封された。延岡では後代の清純が藩主の際、農民一揆のため3千石減知で越後糸魚川に転封、さらに越前丸…

【江戸時代のお家騒動】大久保長安事件ーー幕府中枢の権力闘争が原因?

…とになった。それが、岡本大八事件である。ことの始まりは、それから少し遡った1609年(慶長14年)。肥前のキリシタン大名・有馬晴信によって派遣された朱印船の乗組員が、マカオで騒乱を起こして現地で殺害された。その翌年、ポルトガル船のノッサ=セニョーラ=ダ=グラッサ号(一般的にはマードレ=デ=デウス号として知られている)が長崎に来航。マカオで起きた乗組員殺害の報復を命じられた晴信は4日間にわたって戦いを繰り広げ、ノッサ=セニョーラ=ダ=グラッサ号を撃沈させることに成功したのだった…

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