松平家広 の検索結果:
…、その妹で形原城主・松平家広(まつだいら いえひろ)に嫁いでいた於上の方(於丈の方))を松平から引き戻してしまうのである。織田・今川の対立が激化したことも背景にあったようだ。当然、家康はわずか3歳で母親から引き離されることになった。なお『松平記』という史料によると、於大の方を水野氏のもとへ返すにあたっては広忠の家臣が付き従ったが、彼女は「ついてきたら兄に打ち殺される。それではのちに竹千代(家康)に恨まれる」と途中で彼らを帰して家康とその家臣のことを思いやった、という。 結婚・…
…ある於上が形原城主・松平家広のもとへ、それぞれ嫁ぐことになった。広忠と於大の間には竹千代が生まれ、この子がのちの徳川家康になる。こうして水野氏は松平・今川につき、織田氏と対立することとなったのである。 この経緯については異説もあるのでここに紹介したい。『刈谷水野氏の一研究』(刈谷市教育委員会)によれば、じつは忠政の時代から水野氏と織田氏の間にはつながりがあり、水野・松平の縁戚関係も、信秀の指示によるものではないか、と考えられるという。信秀は水野氏を通して松平氏との間に協力関係…