攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

桂宮家 の検索結果:

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

…けて御所から移築した桂宮家の御殿です。桂宮家のルーツは八条宮家で、後水尾天皇のおじさんにあたる智仁親王を祖とするなど歴史的にも二条城と深いつながりがあるのですが、長くなるのでその話は割愛します。 解説のポイントはこれらすべての建物内の障壁画は狩野派によって描かれたということです。 勅使の間について 勅使の間とは天皇の代理人として朝廷から派遣された使者のこと。 その勅使を二条城で迎えるために用意されたのが「勅使の間」ですが、当時は「殿上の間」「遠侍 上段」などと呼ばれていたそう…

明智光秀ゆかりの地おすすめ19選

…軍家や伏見宮家および桂宮家ゆかりの禅寺でもある「相国寺」へは地下鉄烏丸線の今出川駅から徒歩5分で行けます。 所在地 妙覚寺:京都府京都市上京区上御霊前通小川東入下清蔵口町135 相国寺:京都府京都市上京区今出川通烏丸東入相国寺門前町701 アクセス 妙覚寺:地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」より徒歩5分 相国寺:地下鉄烏丸線「今出川駅」より徒歩8分 南蛮寺跡 「旧本能寺跡」を紹介したついでにそこから歩いてすぐの場所に「南蛮寺跡」という史跡がありますのでここも紹介します。 イエズス会宣教…

二条城で開催された二の丸御殿大広間四の間特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…築された宮家の住宅(桂宮家) 二の丸御殿の建物自体は家康時代のものだが、寛永期の大改修で間取りなどは大きく変更され、障壁画もすべて描き換えられた 現在、1016面が重要文化財に指定されている 天井画は美術工芸品ではなく「国宝建造物の一部」として扱われている 障壁画、天井画などぜんぶで3608面が現存している(江戸時代〜明治時代) 寛永行幸について 洛中洛外図屏風にも多数描かれている 行幸時の東大手門は現在のような櫓門ではなく薬医門になっている 二の丸御殿について 江戸時代のう…

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