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…家臣として活躍。特に牧野康成は「徳川十七将」に数えられるほどの人物で、家康・秀忠といった初期の将軍たちから厚い信頼を受け、家康の「康」の字をもらっている。本家は幾度かの転封後に越後国長岡藩6万4千石に定着し、明治維新にいたった。 一方、康成の3男・儀成は寄合旗本として5千石を受け、その子の成貞は神田御殿の綱吉に仕えるようになった、というわけである。幕府重鎮であった堀田正俊の死を受けて、幕政に大きな影響力を持った成貞の役職が「側用人」だ。これは将軍と老中たちの間をつなぐ仕事であ…
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