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“笹の”可児才蔵

可児才蔵という武将をご存知だろうか。
あまりメジャーな人物ではないが、美濃に生まれて前田利家(あるいは斎藤家)に仕えたのを始めとして、7度にもわたって主君を変えたという剛勇の士である。
宝蔵院十字槍の達人であり、「槍の才蔵」の異名で知られたという。

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さて、この才蔵が最後に仕えた主君が福島正則だ。
そして、実は前回紹介した「井伊直政の抜け駆け」において直政を見咎め、止められなかった武将こそが才蔵だったのである。
彼にとって、直政の抜け駆けは主君と自らの名誉に泥を塗る行為に他ならなかったはず。
さぞや怒り狂ったことであろう。
実際、この日の才蔵の働きは凄まじかった。

福島隊が6000に過ぎなかったのに対し、正面の敵である西軍の宇喜多隊は1万7,000であったから決して楽な戦いではなかったが、得意の槍を振り回して奮戦し、なんと17(あるいは20)の首(それも雑兵のものではなく兜首=武将の首)を挙げてみせたのである。

また、才蔵は指物として笹を使っていたのだが、さらに自分がとった首にこの笹を咥えさせて目印とした、という逸話が伝わっている。
そのため、戦後に「槍師、槍師は多けれど、笹の才蔵、一の槍」とその武勇を大いに讃えられたという。

さて、才蔵のその後については、福島家の領地であった広島に「みそ合戦」なる逸話が伝わっている。
福島正則は関ヶ原の戦い後にこの地を与えられたのだが、幕府から難癖をつけられて改易に追い込まれてしまった。
これに納得いかなかった才蔵は仲間とともに小さな城に立てこもり、新たな城主の軍勢がやってきても明け渡さない。
それでも時が経てば兵糧がなくなって追い詰められるのだが、そこで才蔵は一計を案じた。
「城の地蔵に笹の葉を供え、米と味噌を載せれば願いが叶う」という噂を流したのである。
これを信じた人々が噂を実行すれば、立てこもった才蔵たちの食料になる。
こうして長く戦えた彼らは、やがてどこかへ去った、という。

非常に面白い話だが、この話は明らかに創作だ。
というのも、福島家の改易は1619年(元和5年)であるのに対し、才蔵が死んだのは1613年(慶長18年)だからだ。
しかし、死の際にも完全武装した姿だったというその武者っぷりがよほど世の人々に愛されたのか、このような話が作られた、ということなのだろう。

初出:『歴史人』ウェブサイト(2012年12月13日)
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