攻城団ブログ

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亀井家 の検索結果:

【戦国時代の境界大名】亀井氏――毛利氏との御家再興をめぐる死闘に転機到来!?

…なかで、この湯茲矩に亀井家を継ぐように命じたのである。のちの近世大名、津和野藩・亀井家はこの瞬間から出発したのだといってよい。 この時弱冠18歳の若武者であった湯(亀井)茲矩は、幸盛と同じ尼子旧臣の生まれである。尼子滅亡とともに行き場所を失った彼は、やがて出雲・伊予(愛媛県)・因幡(鳥取県)と放浪した後に幸盛のもとへ身を寄せた。幸盛が茲矩を見出すにあたっては、大きな事件が起きている。以下、江戸幕府が編纂した『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』より逸話を引こう。 …

【江戸時代のお家騒動】津和野騒動 藩主直臣VS尼子旧臣の争い

…件落着したと思われた亀井家の中で、今度は重臣同士の対立という新たな問題が巻き起こる。 亀井家の重臣は、前藩主・政矩の頃より2つのグループに分かれていた。もともと山陰・山陽地方で勢力を誇っていた尼子氏に仕えていた多胡勘解由らのグループと、政矩とともに津和野藩に入ってきた執政・多胡真清らのグループだ。勘解由らは尼子氏の譜代大名として活躍していた者たちで、主家が滅んだ後もその再興を願って活動してきた。大力の祖父にあたる亀井茲矩もそれに協力していた人物で、彼が豊臣氏から信頼を受けてい…

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