お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!
…着いた。忠義はここに倉吉藩を成立させたものの、1617年(元和3年)になると姫路藩主の池田光政が因幡・伯者の両国を領有することになったため、倉吉藩は廃藩となった。再び領地を失うことになった忠義は伯者国の田中村に移され、さらに2年後に堀村に移り住むという流転の人生を送っている。そして1622年(元和8年)、この堀村にて29歳の若さで病死した。ここに里見家は滅んだのである。 幕府に翻弄された末、かつて安房国の大名であったとは思えないような寂しい最期を迎えることになった忠義だったが…
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。