攻城団ブログ

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【江戸時代のお家騒動】仙石騒動 老中首座を狙う水野忠邦が野望実現に利用した事件

…(天保6年)【舞台】出石藩【藩主】仙石久利、仙石政美【主要人物】仙石左京、仙石造酒、仙石主計、松平康任、水野忠邦、脇坂安董 主家の血を引く家臣、仙石式部家と仙石主計家の対立 この仙石騒動は出石藩主・仙石家で起きた権力争いだが、この騒動の特徴は老中・水野忠邦たちの陰謀によって事件が裁かれたところにある。つまり、大名家で起きた騒動が幕府内での権力争いに利用されたのだ。まず、仙石家の家系に触れておこう。出石藩仙石家の祖となったのは、豊臣秀吉に仕えていた秀久だ。関ヶ原の戦いの折、どち…

7.寵臣の出世と末路

…通の証拠を見つけ出す。そして延命院に踏み込み、日道を捕えたのである。その後、出石藩仙石家の御家騒動を解決するなど、安董の功績が認められ、西の丸老中に任命されて、さらには老中にもなる。このとき脇坂家も「願譜代」から晴れて譜代大名に変わった。とはいえ、もとは外様大名だったのだから、安董の残した功績は大きい。彼は外様大名が老中になるという前例のないことをやってのけたのだ。幕閣は譜代大名から任命されるという原則だったが、安董によって外様大名からも任命されるという先例ができたのである。

3.戦国大名から外様大名へ

…家(信州上田藩→但馬出石藩)は、本来外様大名として扱われるべき経歴でありながら徳川家との親密さからか譜代大名として扱われ、しかし1669(寛文9)年には外様に移されている。では、そのような本来外様であるはずの譜代大名は、のちにすべて正されたのかといえばそうでもなく、出羽国の国人の出である戸沢家(出羽新庄藩)は江戸時代の終わりまで譜代として扱われている。どのような意図でこれらの例外が生まれたのかははっきりしないが、一般にイメージされるほどには譜代と外様間に大きな断絶があるわけで…

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