攻城団ブログ

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加納久通 の検索結果:

【殿様の左遷栄転物語】強運の男 徳川吉宗の時代

…たのが、紀伊藩出身の加納久通(かのう ひさみち)と有馬氏倫(ありま うじのり)の両名である。彼らは、吉宗が紀伊藩で藩政改革を執り行っていたときからの側近であり、吉宗の将軍就任にしたがって直臣になり、この職を与えられたわけだ。 まず氏倫の家は、もともと筑後国久留米藩主の有馬家の一族が、徳川忠長に仕えるも主君が改易され、やがて紀伊藩に仕えるようになったものである。吉宗の側近としての活躍を評価され、伊勢国西条藩1万石を与えられた。彼の血筋は幾度か転封を繰り返しつつ、明治維新まで続い…

7.寵臣の出世と末路

…語り継がれている。 加納久通・有馬氏倫 加納久通と有馬氏倫は8代将軍・吉宗の紀伊藩時代からの側近である。吉宗は幕政を食い物にしていた側用人を廃止し、御側御用取次という新しい役職を置いた。それに就いたのが久通と氏倫だ。もっとも、御側御用取次の役目は将軍と老中の間を取り持つことで、実質的には側用人と変わらなかったようである。2人はともに陪臣から直参となり、久通は伊勢国東阿倉川(八田藩)1万石を、氏倫は伊勢国西条藩1万石をそれぞれ与えられている。いずれの家も明治維新まで存続した。た…

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