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…長6年)、対馬藩主の宗義智(そう・よしとし)とその家老である柳川調信(やながわ・しげのぶ)は、朝鮮出兵の際に捕らえた朝鮮人捕虜を返し、日本へ使節を送るように求めた。何度か交渉を試みるうち、その年のうちに朝鮮から、捕虜をすべて返すなら和議に応じるという返答があった。状況はそれ以上の好転を見せなかったが、1604年(慶長9年)に朝鮮から対馬藩に使節が送られてくる。 義智はこの使節とともに伏見へ赴き、大御所・家康と将軍・秀忠に面会させた。これにより、対馬藩は朝鮮との交渉を幕府に一任…
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