攻城団ブログ

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宮尾城 の検索結果:

【戦国軍師入門】厳島の合戦――策謀の限りを尽くした天才・毛利元就

…天文24年)、厳島に宮尾城という城を建設する。この城は船を使って行き来する際の重要拠点でもあったが、この時に元就は実際以上にその重要さと守りにくさを吹聴して晴賢に伝え、さらに元就の本拠地・郡山城の留守を守る桂元澄が偽の裏切りを約束する手紙を出させる。こうした元就の策略はすべて、晴賢の大軍を厳島という戦場に誘い込むための罠だった。 また、厳島での戦いに赴くにあたってもうひとつ、元就が打っておいた手がある。因島・来島・能島の三島(すべて瀬戸内海の小島)に拠点を持つ村上水軍を味方に…

【10大戦国大名の実力】毛利家③――厳島の戦い

…である。元就はここに宮尾城を築き、しかしその直後から「ここに城を築いたのは失敗だった、すぐに落とされてしまうだろう」とわざと嘆いて見せた。晴賢を厳島におびき寄せようとしたのである。しかも、留守を守る役の重臣、桂元澄に偽の内通までさせて、晴賢に「絶対勝てる」と思いこませた。 最後の一手として元就が用意したのは、村上水軍を味方にすることだった。小早川氏の仲介で因島・能島・来島に拠点を持つ村上水軍の協力を得た元就は、彼らの船団によって陶軍の退路を断とうとした。こうして1555年(弘…

毛利元就ゆかりの地おすすめ19選

…下さい。 厳島神社と宮尾城 さて、隠居してからも実権を握り、大内義隆に従いながらもついに中国地方で大きな勢力を持つに至った毛利元就に再び転機が訪れます。 1551年、当時の中国地方の覇者であった大内義隆が家臣の陶晴賢(すえはるかた)によって殺害され中国地方に激震が走りました。主君筋であった義隆の死で、意気消沈するどころか好機と見た元就は、大内氏に「大寧寺の変」という内乱が起きるとすぐさま同調し、武田氏がいた佐東郡(広島市)などを奪取します。大内氏支持であった平賀氏の当主をすげ…

【戦国合戦こぼれ話】厳島の戦い―毛利元就が張り巡らせた罠

…、厳島に囮の城として宮尾城を築き、一方で重臣の桂元澄に偽の裏切りをさせて「宮尾城を築いたのは失敗だった」という話を流させた。もともと大内氏は出陣に際して厳島によるのが慣わしだったので、晴賢が厳島に向かわない理由はなくなった、といっていいだろう。 元就の策略はこれだけではなかった。晴賢の側近として智謀で名高かった江良房栄に「毛利との内通」の疑いをかけて殺させ、またもうひとつの中国二強である、出雲の尼子氏内部の有力集団である新宮党も同じように謀反の疑いによって主家に滅ぼさせるよう…

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