攻城団ブログ

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岩屋城の戦い の検索結果:

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ⑧――名将が命をかけて立て籠もった城・岩屋城

城は本来、敵の攻撃を防ぐためのものだ。だから、籠城側の勝利条件は「援軍が来るまで粘り、来たらタイミングを合わせて挟み撃つ」あるいは「相手が諦めるまで粘る」のどちらかが普通だ。しかし、時には負けるのが目に見えた戦いに挑むこともある。多くの場合、その背景にはやむにやまれぬ事情があるもの――筑前の岩屋城(福岡県太宰府市)のケースなどはその典型といえる。 岩屋城は尾根筋に築かれた自然の防御を誇る城で、北東に位置する宝満城の支城にあたる。この二城は大友氏の重臣・高橋氏の城であった。とこ…

岩屋城攻防戦、息子たちを救うため高橋紹運玉砕す

…年(天正14年)、「岩屋城の戦い」でのことだ。このとき、宿敵である島津氏の五万ともいう軍勢が北上し、大友氏は絶体絶命の危機に陥っていた。そんな中、紹運はあえて対島津氏最前線の岩屋城にわずか763名の兵とともに篭ったのだ。 なぜ紹運はそのような自殺にも等しい行為に踏み切ったのか。ひとつには、このころの大内氏に必要なのが何よりも時間だった、ということがある。大内氏は以前から中央の権力者である豊臣秀吉とつながりを作っており、その援軍が十分に期待できたのだ。また、岩屋城の背後にはもと…

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