攻城団ブログ

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平禅門の乱 の検索結果:

日本史における「変」と「乱」について対談しました

…93年(永仁元年) 平禅門の乱(平頼綱の乱) 鎌倉幕府を支配する北条氏得宗家の内管領として絶大な権勢を振るった平頼綱が、主君である9代執権・北条貞時によって滅ぼされた事件。以後、御内人の勢力は一時後退して、貞時の専制政治が始まる 鎌倉時代 1305年(嘉元3年) 嘉元の乱(北条宗方の乱) 得宗家執事・北条宗方(ほうじょう むねかた)が執権職への野心を抱いて挙兵したとされるが、真相は不明 鎌倉時代 1322年(元亨2年)〜1328年(嘉歴3年) 安藤氏の乱(津軽大乱) エゾの蜂…

【クーデターで読み解く日本史】実力者に虐げられていた主人の反抗――平禅門の乱

1293年(永仁元年) ○北条貞時 ×平頼綱 霜月騒動で安達氏を滅ぼし、御家人たちを御内人(みうちびと)の下に置くことに成功した平頼綱(たいら の よりつな)は、出家して平禅門と名乗りつつ、政治の実権をその手に握り続けた。執権・北条貞時(ほうじょう さだとき)がわずか14歳と若かった執権就任直後の頃はそれで問題なく政治も進んだが、貞時が成長すると意見の対立が起こるようになる。 そして、先手を打ったのは貞時だった。1293年(永仁元年)4月、頼綱の子の宗綱(むねつな)が「父が弟…

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