攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

最上義俊 の検索結果:

【殿様の左遷栄転物語】政争で潰された大名② 宇都宮藩本多家

…純は出羽国山形藩主の最上義俊が改易となったためその城の受け渡し処理を命じられ、一仕事を終えたところで、突然出羽国への転封を命じられたのである。しかし彼はこの新知行地を固辞したため、配流となり出羽国久保田藩主の佐竹義宣のもとへ身柄を預けられることになった。 事件はやがて物語ヘ この時、正純には「本丸の石垣を無断で改修したこと」「警護のために鉄砲を密かに買い込んだこと」「幕府の客分数名を始末したこと」という3つの罪状が突きつけられ、これを否定することができなかった。しかし、これら…

【江戸時代のお家騒動】最上騒動 3代にわたる改易への根深い藩内対立

…最上義光、最上家親、最上義俊【主要人物】最上義光、最上家親、最上義俊 関ヶ原直後に起こった嫡子殺害事件がルーツ この「最上騒動」はひとつの事件を指すものではなく、長年にわたって混乱した山形藩の情勢を指すものである。最終的に最上家は、1622年(元和8年)に改易となるのだが、そこにいたるまでには大変な紆余曲折があったのだ。 山形藩最上家内部の混乱は最初から――つまり初代藩主・最上義光の頃からすでにあった。というより、さらに遡るなら最上氏は戦国時代の頃から内部対立が激しく、義光が…

【江戸時代のお家騒動】宇都宮釣天井事件ーー秀忠派が長安事件の復讐を果たす?

…た頃、出羽国山形藩の最上義俊が改易となり、正純は幕府から山形城接収の命を受けた。正純は最上家の抵抗も考慮し、兵を揃えて山形へと赴いた。そして山形城の接収を無事に終え、幕府からの次の命を待つため山形にとどまっていたところ、江戸からやつてきた使者らが突然、正純に領地の没収と出羽国由利5万5千石への転封を伝えたのである。この時、使者は正純に十一ヶ条から成る詰問状を突きつけた。しかし正純がこれらすべてに明快な回答を返したので、使者は新たに三ヶ条を追加する。内容は、武器の買い入れや修築…

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