攻城団ブログ

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津和野藩 の検索結果:

【戦国時代の境界大名】亀井氏――毛利氏との御家再興をめぐる死闘に転機到来!?

…る。のちの近世大名、津和野藩・亀井家はこの瞬間から出発したのだといってよい。 この時弱冠18歳の若武者であった湯(亀井)茲矩は、幸盛と同じ尼子旧臣の生まれである。尼子滅亡とともに行き場所を失った彼は、やがて出雲・伊予(愛媛県)・因幡(鳥取県)と放浪した後に幸盛のもとへ身を寄せた。幸盛が茲矩を見出すにあたっては、大きな事件が起きている。以下、江戸幕府が編纂した『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』より逸話を引こう。 ある時、以前より幸盛と親しく付き合っていた矢部行綱…

【江戸時代のお家騒動】津和野騒動 藩主直臣VS尼子旧臣の争い

…寛永12年)【舞台】津和野藩【藩主】亀井茲政【主要人物】多胡真清、多胡勘解由 家康の孫娘を母に持つ3歳の幼き藩主の誕生 1617年(元和3年)、因幡鹿野城主であった亀井政矩が、4万3千石の津和野藩に移封された。津和野藩は、関ヶ原の戦いで戦功を上げた坂崎直盛が成立させた藩だったが、わずか一代で坂崎家が断絶となってしまったため、そこに政矩が入ることになったのだ。 それからわずか2年後の1619年(元和5年)、政矩は落馬により命を落としてしまう。政矩には、大力という3歳の子がいた。…

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