攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

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【家康の城】二条城 徳川の権威の象徴!

…す。さらに寛永期には淀城天守として再移築されています。もともとあった大和郡山城天守台の発掘調査によると天守台は8間×7間(約17m×15m)であり、天守中央部の身舎(もや)は4間×3間(約8.5m×6.5m)でした。さらに、その後に再移築された淀城天守台の礎石の広さもほとんどおなじであることから、二条城天守の広さも変化なく同じであったと考えられます。石垣の石材については発掘調査の結果で古いことがわかっており、聚楽第の旧材が再利用されたと考えられます。 編集部注 この天守台移築…

石垣の種類(石の加工技術や積み方、外観による分類)

…。 いけだ商会 | 淀城天守台の石垣[淀城] ぽりへり | 木陰で見上げる高石垣[丸亀城] 切込接ぎ 切込接ぎは徹底的に石を加工してから積み上げる手法です。四角く整形した石材を密着させるため、隙間はほぼありません。現代のブロック塀のように同サイズの石が積まれているわけではありませんが、それなりに大きさも揃えられた石がびしっと積まれています。江戸時代初期(元和期)以降に多用されるようになったといわれており、非常に強度が強いのでもっとも高い石垣を築くことができる反面、石材同士が密…

築城の名手(1)藤堂高虎が築いた城

…、元和6年)※修復 淀城(1623年、元和9年)※秀忠の命により普請の手伝い 不足やまちがいがあればわかり次第修正しますが、もしお気づきの点があればご指摘ください このほか高槻城や駿府城にもかかわったという記事も見つけたのですが、真偽はわかりませんでした。 また1585年(天正13年)には羽柴秀長の和歌山城築城に関与したという情報もありました。 さらに城以外の建築物でいうと、こんな活躍もしています。 日光東照宮の造営奉行(1617年、元和3年) 上野寛永寺の造営(1626年、…

【京の冬の旅】妙心寺鱗勝院で春日局の御霊屋と海北友雪の水墨画等を見てきた

…ってませんでした。 淀城のしゃちほこが 稲葉氏は幕末、淀城の城主をつとめていました。「鳥羽・伏見の戦い」において淀藩の裏切りが幕府軍敗退の一因となるわけですが、その淀城の火の見櫓に上げられていたしゃちほこが麟祥院の庭園にあります。 kojodan.jp 御霊屋の来歴 ガイドの方から聞いた話をそのまま書くと「麟祥院の御霊屋は後水尾天皇から春日局が下賜されたもので、仙洞御所の釣殿でした。ただし春日局が存命中は二条城に移築されていた」ということでした。「京の冬の旅」のパンフレットに…

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