田原藩 の検索結果:
… その後の忠隣と、小田原藩大久保家の復活 こうして改易された忠隣は、井伊直孝のもとへ身柄を預けられ、近江に蟄居することとなった。そしてそのまま、幕府中枢に戻ることなくこの世を去った。1628年(寛永5年)のことである。近江へ配流となった直後は、側近を通じて無実であることを訴えていたが、家康の死後は仏門に入り、自ら隠居を望むような行動を見せるようになっていったという。あるいはライバルである正信の死後、秀忠が忠隣に戻ってくるようにいったが、彼がそれを断ったという説もある。 忠隣の…
…介したい。彼は三河国田原藩1万石を治める小大名だった。そこから奏者番と寺社奉行を兼任し、さらに京都所司代に進み、最終的に老中となったのだ。このとき、石高は加増に加増を重ね、7万1千石にまで膨れ上がっていた。こうした絵に描いたような立身出世が成り立った背景には、将軍家の傍流出身であったために名門譜代を側近に持たない綱吉が、子飼いの部下である忠昌を要職に就けようとしたことがあったとされる。 一方、江戸に残り続けて老中になる大名もいた。これが奏者番から若年寄や側用人を経由して老中に…