攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

畠山義総 の検索結果:

「守護代ってなに?」の動画を公開しました

…ことはなかった。特に畠山義総(よしふさ)の時に全盛期が訪れた。 ・義総が死んでその子の義続の代になると、重臣の中でも筆頭格にあたる遊佐続光(つぐみつ)と温井総貞(ぬくいふささだ)の二人を中心にした内紛が勃発。これ自体は講和で終わったが対立関係は続き、この二人を中心にした「畠山七人衆」体制の中で大名である義続は実権を失っていった。両者の争いは義続が引退して義綱に代替わりした後になって続光が国の外へ逃れるという形で一時決着した。続光は逆襲のため国内へ舞い戻ったものの、再び敗れて越…

日本史における「変」と「乱」について対談しました

…畠山尚順の命を受けた畠山義総(能登守護)と長尾為景(越後守護代)が討伐した戦い 戦国時代 1523年(大永3年) 寧波の乱(寧波争貢事件) 日明貿易(勘合貿易)の利権をめぐって大内義興と細川高国が明の寧波で争った事件 戦国時代 1532年(天文元年)〜1535年(天文4年) 天文の乱(本願寺) 本願寺勢力と細川氏・畠山氏の戦い 戦国時代 1533年(天文2年)〜1534年(天文3年) 稲村の変(天文の内訌) 安房里見氏の家督をめぐって発生した内紛 戦国時代 1536年(天文5…

【京都】2019年秋に開催される歴史好き向けの特別公開・特別拝観・ライトアップイベントまとめ

…600円 能登守護・畠山義総によって創建された寺院で、その法名を取って寺名を興臨院としました。戦国時代、畠山家の衰退とともに荒廃しましたが、1581年(天正9年)に能登を任された前田利家によって屋根の葺き替えがおこなわれ、以後は畠山家に加え前田家の菩提寺ともなっています。本堂、表門、唐門が室町時代創建で禅宗建築の代表作で、重要文化財に指定されています。また「昭和の小堀遠州」と謳われた作庭家・中根金作が復元した桃山風の荘厳な石組みを持つ方丈庭園や、茶室「涵虚亭」も見どころです。…

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