皇居 の検索結果:
…考文献 現地案内板 皇居外苑パンフレット、皇居東御苑パンフレット 「城の鑑賞基礎知識」(三浦正幸著、1999年9月16日、至文堂) 「歴史群像シリーズ 図説縄張りのすべて」(加藤理文ほか、2008年3月10日、学研) 「図説 近世城郭の作事 天守編」(三浦正幸著、2022年1月31日、原書房) 「図説 近世城郭の作事 櫓・城門編」(三浦正幸著、2022年5月25日、原書房) 「日本の城 天守・櫓・門と御殿」(三浦正幸監修、2020年1月6日、学研プラス) 松江歴史館所蔵「江戸…
…宮だった頃に江戸城(皇居)から移されたものだそうです。 歴史情報ルームやショップもすごい さっきの特別展は展示室で開催されていますが、じつは入口から入ったところにはミュージアムショップがあり、その奥には歴史情報ルームという展示コーナーがあります。 こちらのスペースは写真撮影もオッケーです 歴史情報ルームでは名古屋城の築城から400年にわたる歴史をパネルで紹介しているのですが、QRコードで多言語対応しているし、子ども向けの紹介も大人が読んでも勉強になる内容になっています。すべて…
…、例年通り江戸城(=皇居東御苑の入園者数)が入っています。動画でも取り上げたように玖島城の大村公園は意外でしたが、2018年の数字が461,767人だったのでもともと多かったんですね(去年は不明)。御城印も売れてるみたいだし、攻城団のチラシや攻城記念缶バッジも置いていただいてるのでうれしかったです。無料で入れる公園ですし、オオムラザクラや花菖蒲などを見に来られてる人も多いと思いますが、こういう全国的にはまだまだ知られていないお城を紹介するきっかけのひとつになればいいですね。 …
…ら、尋常ではない。振袖火事という別名は「病死した娘の振袖を寺で燃やして供養しようとしたら、その炎が燃え上がって火事の原因になった」という話からきているのだが、これはあくまで伝説であろう。この大火によって江戸城もすっかり焼けてしまい、特に天守閣は燃えたまま後々まで再建されることはなかった。これは保科正之が「今はもう戦乱の時代ではなく、天守閣を作り直しても役に立ちません」と進言したためだという。そのため、今は皇居となっている江戸城にある城風の建物は櫓であって、天守閣ではないのだ。
…ます。さらに本丸に仮皇居を造営する計画が上がりましたが、これは実現せず、逆に太政官代のほうが御所に移転します。 その後、京都府庁になるわけですが、これは京都府側から役所として使わせてほしいと要望したそうです。廃藩置県後にお城が役所として使われることは全国的にもけっこうあったようですね。この頃の二条城の様子の模式図がこれです。二の丸御殿のほか、いまも残る番所や米蔵なども記載されてますね。(北大手門の下にある建物と、中央下にある建物がわからない) 京都府庁が二条城に移転する前は京…
…消失してしまったり、皇居の公開が進んで当時は見ることができなかった遺構があらたに見れるようになったりとプラスもマイナスも多々あることに加え、デジカメの性能がアップしてよりきれいな写真を紹介できること、これまでのガイドツアーを通じてよりわかりやすく案内できるようになったので、あらためて書き直したそうです。 ガイドツアーの打ち合わせでお会いした際も「もう古くなってるから書き直したいんだよね」とおっしゃっていましたが、そういう意味でも待望の新刊です。 さっそく拝読しましたが、江戸城…
…昔マップ」で、埼玉大学教育学部の谷謙二研究室が公開されています。 「今昔マップ」を表示 こんなふうに左右2画面で地図を並べて表示することができます(1画面や4画面表示にも対応)。 選択できる地図の中に大日本帝國参謀本部陸軍部測量局が測量した地図も含まれているので、これを使ってチェックするのがいちばん早くて便利でしょうね。 たとえばこれは江戸城(皇居)を中心にした都心部の地図ですが、東京湾の埋め立ての様子などもわかったりします。 なかなかおもしろいのでいろいろ見てみてください。
…り三八六年前)豊太閤皇居を造営し、ついで京洛の区域を定め、その境界、並、水防のため天正十九年(昭和五十年より三八四年前)諸侯に命じて京都の四囲に造営した大土堤の一部なり。 史跡指定昭和四十年十月廿七日 ちなみにここには「もみじ苑」の名のとおり、たくさんのもみじの木が植えられていますので、秋の紅葉の時期にまた見にいこうと思います! 北野天満宮にかんするその他の話題 宝物殿の鬼切丸 北野天満宮の宝物殿には重要文化財の日本刀「鬼切丸」が展示されています。 いまはよそに貸し出されてい…
修学旅行で皇居(江戸城)を訪問すると、だいたいここで写真を撮ります。 奥に見えているのは伏見櫓ですが、手前にある橋をなんというかご存じですか。ぼくは今日までこれを「二重橋」だと思っていたのですが、どうやらちがってました。(あわてて城メモを修正しましたよ) この橋の正しい名称は正門石橋(せいもんいしばし)」であり、ほんとうの二重橋はこの奥にある橋です。 二重橋の正式名称は「正門鉄橋(せいもんてつばし)」というらしいです。 ちなみに二重橋は、かつては木造の橋でした。当時、強度を保…