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…忠昌には高田藩時代に糸魚川藩主・稲葉正成(いなば まさなり、家光の乳母・春日局の元夫で、小早川秀秋の家老を務めたことのある人物)が家老としてついていて、彼もまた付家老のひとりといえるだろう。ところが正成は忠昌の北ノ庄行きに従わなかった。そのため、彼が付家老だったのは5年ほどのことである。のち、正成は再び大名として取り立てられ、稲葉家は老中なども輩出しつつ何度か転封を繰り返し、淀藩に定着して明治維新を迎えた。 一方、成重は譜代大名として取り立てられ、加増もあって4万6千石余の丸…
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