攻城団ブログ

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西尾藩 の検索結果:

【家康の謎・番外編】十八松平と十四松平、あるいは徳川家康のルーツとは

…出し、最終的には三河西尾藩6万石だった。他に分家として美濃岩村藩3万石、豊後府内2万石、信濃田野口藩1万6千石があった。 滝脇松平は慶長年間に滝脇村などにもらった6千石を代々継承した。 福釜松平は天正年間に領地をもらい、1100石を継承した。 桜井松平は清康が死んだ際に遺児の広忠を岡崎城から追い出したり、三河一向一揆でも家康に反旗を翻すなど、本家に敵対的な家と言える。しかし降伏して許された。慶長年間に遠江浜松藩5万石を与えられたものの、当時の当主が水野忠胤(みずの ただたね)…

【江戸時代のお家騒動】二の丸騒動 後継者争いも加わり藩内を二分する一大派閥闘争

…、忠厚の妹婿にあたる西尾藩主・松平乗寛に協力を求め、諏訪家との交渉を開始。一方、千野を擁護する家臣らも江戸に赴き、彼の政権復帰を訴えた。 その結果、千野が国元を出発してから4ヶ月後の1781年(天明元年)12月、ついに忠厚の隠居と軍次郎の藩主就任が決定、大助らに切腹や討首の処分が下されたのである。長きにわたった騒動が、ついに決着をみたのだった。 軍次郎の藩主就任自体が騒動の決着地点だったかといえば、そうではないだろう。後半のお家騒動は確かに後継者をめぐるものではあったが、その…

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