攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

観音寺城 の検索結果:

【現在1759城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…2019年8月1日 観音寺城跡 城郭符 佐々木六角版 観音寺城(滋賀県近江八幡市) 観音正寺 社務所 350円 印刷 A6 2019年7月20日 種里城 御城印 発行記念 種里城(青森県鯵ヶ沢町種里町) 光信公の館 300円 印刷 縦16cm、横10.8cm 2019年7月13日 九戸城 御城印 九戸城(岩手県二戸市) 二戸市埋蔵文化財センター 300円 印刷 2019年7月13日 聖寿寺館 御城印 聖寿寺館(青森県南部町) 史跡聖寿寺館跡案内所 300円 印刷 2019年7…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城むなしく⑦――支城を失い、戦意を失った城・観音寺城

近江の観音寺城(滋賀県近江八幡市)は、通称「観音寺山」と呼ばれる繖山(きぬがさやま)に築城された山城で、近江の佐々木氏の嫡流である六角氏が居城とした。東の麓には中山道を見つめ、西には琵琶湖の内湖を見る交通上の要所を押さえており、後に隣の安土山に織田信長が安土城を築いたのも納得の重要拠点といえる。 繖山は南北朝時代からも山砦として使われてはいたが、本格的に城が築かれたのは戦国時代になってからで、全盛期とされる六角定頼(ろっかく さだより)とその子・義賢(よしかた=承禎)の時代に…

日本史における「変」と「乱」について対談しました

…行われた内紛。高頼は観音寺城を追われるが和解 戦国時代 1507年(永正3年)〜1518年(永正15年) 永正の乱 関東・北陸地方で発生した一連の戦乱の総称。長尾為景の謀叛、山内上杉家の内紛、古河公方家の内紛など 戦国時代 1514年(永正11年) 第二次伊庭氏の乱 再び出奔した伊庭貞隆が北近江の京極氏および浅井氏の支援を受けて六角氏(このとき当主は定頼、高頼は隠居)と戦う。今度は六角氏側が勝利して、伊庭氏に味方した京極氏衰退の原因にも。なお守護vs守護代の争いというよりも明…

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府10代・足利義材――幕府崩壊劇の主役となった「流れ公方」 1466年~1523年

…移るため、居城である観音寺城を出て甲賀の山中に身を隠した。そして幕府軍が陣を敷くとそこに奇襲をかけたが、逆に猛攻を受けて多くの犠牲を出してしまう結果となる。この戦いで勝敗は決し、義材は高頼から取り上げた守護職を、高頼の一族の虎千代と、北近江の京極高清(きょうごく たかきよ)に半分ずつ担当させることで、近江の平定を終わらせた。 明応の政変――戦国時代の始まり 次に義材は、幕府と将軍の権威回復に乗り出した。そのターゲットとなったのが、畠山基家(はたけやま もといえ)であった。畠山…

【歴代征夷大将軍総覧】室町幕府9代・足利義尚――遠征の末に倒れた将軍 1465年~1489年

…義尚は、高頼のこもる観音寺城に一斉攻撃を加えた。この攻撃に、高頼が観音寺城を放棄して甲賀に逃げ込むと、義尚は続いて自陣を鈎(まがり)に移動。しかし、甲賀の山間に逃げ込んだ六角勢を掃討することはなかなか難しく、しばらくすると幕府軍は一旦撤収することになる。 しかし、この隙を狙って六角勢が一気に襲撃を仕掛けてきたので、形勢は逆転。六角勢のこのようなゲリラ戦法により、戦いは長期になることが予想された。こうして釣に長い間滞陣することになった義尚だったが、その間に幕府の奉公人による内紛…

【プレゼントあり】「名城の石垣図鑑」のご紹介

…(愛媛県宇和島市) 観音寺城(滋賀県近江八幡市) 福知山城(京都府福知山市) 丹波亀山城(京都府亀岡市) 丹後田辺城(京都府舞鶴市) 岸和田城(大阪府岸和田市) 高取城(奈良県高取町) 伊賀上野城(三重県伊賀市) 鳥羽城(三重県鳥羽市) 松坂城(三重県松阪市) 竹田城(兵庫県朝来市) 篠山城(兵庫県丹波篠山市) 明石城(兵庫県明石市) 洲本城(兵庫県洲本市) 津山城(岡山県津山市) 福山城(広島県福山市) 月山富田城(島根県安来市) 高知城(高知県高知市) 徳島城(徳島県徳島…

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