諏訪家 の検索結果:
…を擁立することで、旧諏訪家臣団を味方につけ、また頼継に正当性がないことを示したわけだ。戦いは1542年(天文11年)、以前に両者が領地を分けた宮川で行われ、武田方の勝利に終わった。頼継はこの戦いで散々に打ち破られながらも戦意を失わず、その後もたびたび信玄と戦っている。だが、ついにかなわず、天文17年に武田への臣従を誓った。こうして諏訪は武田の手に落ちたのである。 諏訪四郎勝頼の立場 さて、武田氏が支配する諏訪において、諏訪氏はどう扱われていたのか。本来惣領家を継承するべき虎王…
…の丸騒動とは、高島藩諏訪家で起こったお家騒動のことだ。騒動の名前になっている「二の丸」とは、事件の主要人物である諏訪家家老の諏訪図書・大助父子らが高島城二の丸に居を構えていたことから、そのように呼ばれている。そして、彼ら二の丸一派と対立することになったのが、三の丸に居を構える一派だった。こちらは千野兵庫という家老が中心となっており、両派は藩内を二分する勢力となっていた。 二の丸家は初代藩主・頼水の弟である頼雄に連なる家系で、家臣でありながら主家とは血縁関係で結ばれていた。一方…
…仕えていた小笠原家、諏訪家、保科家などが、その例となる。他に板倉家、太田家、西尾家、土屋家、森川家、稲葉家、藤堂家、高木家、堀田家、岡部家、朽木家、土岐家、稲垣家、丹羽家、三浦家、遠山家、加々爪家、内田家、小堀家、西郷家、奥田家、脇坂家、京極家、毛利家、山口家、柳生家、堀家、蜂須賀家、増山家などが含まれる。 これらとは別に松平家の一門がある。実は譜代大名として数えられる松平一族も少なからず存在したのだ。 松平一門 徳川を名乗ることができたのは、基本的に御三家と御三卿だけで、そ…