攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

金箔瓦 の検索結果:

京都市考古資料館で「THE 金箔瓦」を見てきました

…の特別展示「THE 金箔瓦」を見てきました。いやー、ほんとすごいです。これが無料で見れるなんて、なんだか申し訳ないくらいです。 一部(安土城)をのぞいて撮影オッケーだったので、写真を撮ってきました。遠方にいらっしゃる方のために載せますが、瓦の質感とかまでは写真では伝わらないと思うので、できるだけ京都まで足を運んでいただきたいです。コラボ御城印も発売中なので、「京都御城印サミット」に来られる方はその前後に京都市考古資料館にも寄っていってください。 じゃあどどっと写真レポートです…

【お城の基礎講座】17.天守の屋根の素材

…分の瓦に金箔を張った金箔瓦(きんぱくがわら)を好んで使いましたが、徳川家康は金箔瓦ではなく金属瓦を権力の象徴として使用しました。その例は江戸城の天守や名古屋城の天守です。現在の名古屋城の天守は外観復元天守ですが、銅板葺(どうばんぶき)の屋根になっています。 ▲ 名古屋城天守(外観復元)。屋根瓦は銅板葺きで、銅板の表面がさびて被膜ができる ”緑青” によって緑色をしている。 寒さへの備え 土瓦は気温が低くなると割れやすくなります。そのため、寒さ対策として様々な工夫をされています…

戦国末期の駿府城の瓦について

…平成30年)10月に金箔瓦が発見されました。駿府城は1585年(天正13年)に浜松城から居城を移すために徳川家康が築城し、小田原征伐後に家康が関東移封となったことにともない中村一氏が入城します。江戸時代にはふたたび家康が大御所の城として城主になっていますが、この金箔瓦がいつ・誰の時代のものなのかについて諸説ある状況です。今回はツイッターでこの件について考察されている寺井半兵衛さんに寄稿いただきました。 駿府城から出土した瓦は従来、徳川家康の家臣である松平家忠が書いた『家忠日記…

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