攻城団ブログ

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【殿様の左遷栄転物語】「正徳の治」の崩壊

…になってさらに越前国鯖江藩に移され、石高は変わらず5万石だったものの家格は「城主」から「無城」へ落ち、これにともなって収入も大きく減ったとされる。将軍の寵愛を失ったことからの転落であるわけだが、それでも間部家は明治維新まで続くことになった。また、幕末期の藩主・間部詮勝(まなべ あきかつ)は老中に二度就任し、幕政に少なからず関与している。 白石は本丸寄合からは外れたが平寄合としては残り、1000石の禄と旗本としての身分も取り上げられなかった。やがて隠棲生活に入り、学者・詩人とし…

7.寵臣の出世と末路

…村上藩5万石、越前国鯖江藩5万石と次々に転封され、石高こそ変わらないものの、「城主」から「無城」へと家格を落とされてしまった。なお、詮房は家宣の学問の師であった儒学者・新井白石と協力して幕政を動かしていた。さまざまな改革が行なわれたこの治世は「正徳の治」として後世まで語り継がれている。 加納久通・有馬氏倫 加納久通と有馬氏倫は8代将軍・吉宗の紀伊藩時代からの側近である。吉宗は幕政を食い物にしていた側用人を廃止し、御側御用取次という新しい役職を置いた。それに就いたのが久通と氏倫…

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