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…対策として、磐城平に鳥居忠政、館林に榊原康政、宇都宮に奥平家昌らを置いた。これらもまた家康の信頼厚い譜代大名で、関東の北の守りを固めることが目的だった。東北や北陸といった関東の北には前田家や伊達家といった外様大名の中でも際立って有力な家がいた。江戸幕府の設立当初、まだ諸大名への支配が確立していなかった頃には、こうした外様大名の存在は幕府にとって脅威だったのだ。 その後、「大坂の陣」によって豊臣家が滅亡すると、幕府は畿内を譜代大名で一気に固める。1617年(元和3年)には、姫路…
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