攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

【戦国合戦こぼれ話】大坂の陣―浪人衆の意地

徳川家康にとって「大坂の陣」は「関ヶ原の戦い」以上に盤石な体制と準備でのぞんだものの、薄氷を踏む思いでの勝利でした。

【戦国合戦こぼれ話】関ヶ原の戦い――始まる前に終わっていた!?

「関ヶ原の戦い」は戦国時代を象徴する合戦でありながら、わずか数時間で終了したという点でいろいろと疑問点も多い合戦ですね。

【戦国を彩る名軍師たち】いくさを取り仕切ることができなかった真田幸村

大河ドラマ「真田丸」の主人公として広く世間に知られるようになった真田信繁ですが、どんなに有能であっても肩書きがなければ軽視されるのは現代と同じですね。

御城印集めの魅力について、shoさんに聞いてみました

御城印集めの魅力についてより深く知るために、日々精力的に御城印の情報収集をされているshoさんにお話を伺いました。

【戦国を彩る名軍師たち】主君の信頼を得て大いに働いた直江兼続

上杉家の家老として知られる直江兼続は内政・軍事ともにオールマイティな軍師でした。

【戦国を彩る名軍師たち】江戸幕府の宗教対策で活躍――南光坊天海

江戸時代初期、徳川家康の側近として朝廷政策・宗教政策に深く関与した南光坊天海は出自が不明で、足利将軍の落胤説や明智光秀の生き残り説などいろいろあります。

【戦国を彩る名軍師たち】木食の苦行を経て、秀吉を支えた僧侶――木食応其

真言宗の僧である応其は、豊臣秀吉の外交交渉を担当する使僧として島津氏との和睦交渉などに尽力し、さらに高野山の再興にあたりました。

【戦国を彩る名軍師たち】九州三強の軍配者、川田義朗

川田義朗は島津義久の軍配者として、「耳川の戦い」など数々の戦の勝ち鬨を上げる奏者をつとめた人物です。

【戦国を彩る名軍師たち】才覚のあまり主君に討たれた太田道灌

太田道灌というと「享徳の乱」や「長尾景春の乱」で八面六臂の活躍をしたので軍事の天才の印象が強いですが、それだけでなく学者としても一流だったようですね。

【戦国を彩る名軍師たち】信長に気づいた軍師――朝倉宗滴

朝倉氏を60年にわたって支えつづけたのが朝倉宗滴です。彼がいたからこそ朝倉氏は他国に恐れられる存在になれたのですが、その眼力は織田信長の器量をいち早く見抜いていたともいわれています。

【戦国を彩る名軍師たち】三成に過ぎたるものが二つあり――島清興

「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われた島左近は「関ヶ原の戦い」で討死したとされますが、生き延びた説もあるようですね。

京都文化博物館の企画展「京の歴史をつなぐ」にいってきました

京都文化博物館で開催されている企画展【ICOM京都大会開催記念】「京の歴史をつなぐ」にいってきました。

京都文化博物館の特別展「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」にいってきました

京都文化博物館で開催されている特別展「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」にいってきました。

【戦国を彩る名軍師たち】信長に軍師がいた!? 沢彦宗恩

沢彦というと「岐阜」の命名者として知られていますが、「天下布武」というスローガンの発案者でもあります。

【戦国を彩る名軍師たち】東海一の弓取りを育て、支えた軍師・太原雪斎

今川義元、徳川家康という才能を育て、武田信玄、北条氏康という大大名とわたりあい「甲相駿三国同盟」を成立させた太原雪斎はもっともスケールの大きい軍師かもしれませんね。

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