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【本能寺の変の謎の謎】状況が光秀を導いた!?

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怨恨説は創作に端を発するあやふやなものであり、陰謀説も無理のあるものばかりとなると、果たして真相はどこに見出せばいいのか。
近年主流となっているのは、いわば「状況説」とでも名付けたい説である。つまり、そのような状況に追い込まれた、あるいは好機を見出してしまった光秀が、当然の行動として「敵は本能寺にあり!」と叫んだ、というものだ。……このセリフそのものは俗説であるが。

そもそも「本能寺の変」が実行できたのは、ほとんど僥倖といっていい幸運の結果である。
畿内周辺に光秀のもの以外まとまった軍団がおらず、信長は安土城からわざわざ出てきて身を守りようがない京の本能寺に入った。しかも、嫡男の信忠までもが京にいる。この二人がまとめて死んだからこそ織田政権は実質的に崩壊したわけで、幸運としか言いようがない。

このような幸運が光秀に舞い込んだのはなぜか。ひとえに、まさか光秀や裏切るわけがないという信長の油断によるものであろう。近年の研究で、信長は従来のイメージのような疑り深い人物ではなく、むしろ積極的に信じて裏切られるタイプの人間であったろうと考えられるようになっている(あれほど裏切られた背景には、勢力を急速に拡大したが故に譜代以外の家臣を大量に抱え込んだからというのもあるだろうが)。
そのような信長の性格こそが本能寺の変を呼び込んだのではないか、というわけだ。

いくら好機であったからといって、長年の主君をそう簡単に裏切るものだろうか。
この疑問を解決するのが怨恨説や黒幕説であったわけだが、他にも野心説と呼ばれるものもある。つまり、光秀は天下取りの野心を持っていた、というわけだ。事件の直前に詠んだ「ときは今天が下しる五月かな」の歌が、「とき=土岐」で土岐一族の自分が天下を取る野心表明だ、とよく言われる。

怨恨や黒幕、野心以外に動機を説明できるものはあるだろうか。近年主流となっているのが四国問題を原因と見る説だ。
当時の四国で大きな勢力を持っていたのは長宗我部元親で、信長は光秀に命じて彼と外交交渉をさせていた。ところが、長宗我部による四国統一が見えてくると、信長は突如として長宗我部のライバルである三好氏を支援するようになったのだ。当然、光秀による交渉は中断する。このようなケースでは「外交交渉が断絶したのでそのまま攻撃を担当」ということもあったが、その役目が光秀に任されることもなかった。

これでは光秀の面目は丸つぶれであり、そもそも織田家中で今のまま重臣として遇されるかも怪しい緊急事態である。
かくも状況に追い詰められた光秀が、一発逆転の好機に目がくらみ、乾坤一擲の賭けに出たーーこれが近年主流の説であるが、さていよいよ再開する『麒麟が来る』はどんな結末とロジックを用意してくれるのか。実に楽しみである。

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