攻城団ブログ

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石川県立歴史博物館で開催中の特別展「御殿の美」を取材してきました

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10月16日(月)、ひさしぶりに攻城団テレビの取材に行ってきました。

今回は石川県立歴史博物館にご協力いただき、現在開催中の秋季特別展「御殿の美」を学芸員の中村さんに案内していただきました。
取材の動画はこちらです。

このブログでは取材を通じてぼくが感じたことや、取材のための予習で学んだことなどを書こうと思います。

金沢城に豪華な御殿が?

そもそもなぜ御殿をテーマにした特別展が企画されたのかという話になるのですが、それは現在石川県で金沢城二の丸御殿の復元計画が進んでいるからです。
これまでも河北門や橋爪門、玉泉院丸庭園に鼠多門と江戸時代の金沢城を蘇らせるために復元整備が進められてきましたが、その集大成として昨年から始まったのが二の丸御殿の復元整備事業というわけです。

いまはこんなふうに二の丸御殿があった五十間長屋の前では発掘調査がおこなわれています。

復元整備は段階的に行われる予定で(このあたりは名古屋城本丸御殿に近い)最初は入口付近(玄関・式台・実検の間・虎の間)が対象となっています。

金沢城は加賀藩前田家の居城であることは有名ですが、どんなお城だったかについては意外と知らない方も多いと思います。
ぼくも今回までよく知らなかったのですが、もともとは多くのお城と同じように本丸に天守と御殿があったそうです。それが(これもあるあるですが)天守は落雷で焼失、またその後に本丸御殿も火災により焼失したため、3代・利常の代に二の丸を拡張して、メインの執政エリアとして二の丸御殿を新たに造営しました。

これが1631年(寛永8年) のことです。
二条城二の丸御殿が後水尾天皇の行幸のために大改築されたのが1626年(寛永3年)、名古屋城本丸御殿に「上洛殿」が増築されたのが1634年(寛永11年)ですから、この利常による二の丸御殿造営は時代的にその間のことでした。

しかしこの御殿はおよそ100年後の1759年(宝暦9年)にやはり火事で焼失しています。すぐに再建されたものの、また1808年(文化5年)に焼失、さらに再建した御殿が明治時代まで残っていたのですが、これも火事で焼失したため現存していないというわけです。
動画にも差し込みましたが、年表にするとこんな感じです。

金沢城二の丸御殿の歴史(度重なる焼失と再建)

  • 1631年(寛永8年)
    • 本丸御殿の焼失後、利常が二の丸を拡張して御殿を造営
  • 1759年(宝暦9年)
    • 宝暦の大火により御殿を含む城の大半が焼失
  • 1761年(宝暦11年)
    • 御殿の再建に着手
  • 1808年(文化5年)
    • 文化の大火により御殿が焼失、再建に着手
  • 1810年(文化7年)
    • 御殿の造営が完了
  • 1881年(明治14年)
    • 失火により御殿や菱櫓・五十間長屋等が焼失

このように天守や御殿というのは江戸時代を通じて何度も建て直されているため、復元する場合「どの時代のものを」建てるかが注目されるのですが、現在の計画では最後に造営された二の丸御殿(文化度造営)が対象となっています。
ただこの文化度二の丸御殿も何度か増改築がなされているので、厳密には絵図などを基準に復元対象年度が選ばれるのだと思います。

前置きが長くなりましたが、

  • 金沢城には御殿があった
  • 加賀百万石にふさわしい豪華で巨大な御殿だった
  • その御殿の復元整備が進んでいる

という背景があり、御殿の役割や機能、なによりその美しさを広く伝えるために開催されたのが今回の特別展というわけです(とぼくは理解しました)。

本物を一度に見れる幸せ

会場では二条城や名古屋城などに現存する豪華な金碧障壁画や飾り金具などが展示されていました。
現在、二条城も名古屋城も御殿内に飾られている障壁画は複製されたものです。本物は大事に保管され、定期的に二条城なら展示収蔵館で、名古屋城なら西の丸御蔵城宝館で公開展示されています。ただ順番に公開するにしても点数が膨大なので、たとえば今回展示されている二条城の「松鷹図」も数年から数十年おきにしか見ることができません。
そういう貴重な障壁画が何点も一度に見れるのはこうした特別展ならではですね。

ほかにも前田家の菩提寺である瑞龍寺が所蔵している探幽の水墨画や、桂離宮の飾り金具など、この時代の最高クラスの美を味わえるのは贅沢だなと感じました。

狩野派の虎と岸派の虎

後半では金沢城二の丸御殿の最新研究成果が紹介されています。
二の丸御殿が何度も焼失と再建が繰り返されたと書きましたが、いろんな時代の絵図が残されていて、それらがまとめて展示されています。
時代によって規模もちがうし、能舞台があったりなかったり(ふたつある時代も!)、その変遷を見てるだけでもすごくおもしろかったので、ぜんぶをCGや模型で見てみたいなと思いました。

また今回の特別展はパンフレットが洒落ているのですが、左右にいる虎の対比が良かったです。

左は二条城にいる狩野派が描いた虎で、右は岸駒(がんく)が描いた虎(長浜市宮司東町自治会蔵)です。
「ドラえもん」と「北斗の拳」くらいちがうというか、絵のタッチがぜんぜんちがいますよね。

この岸駒という人は文化度二の丸御殿の障壁画を描くために京から呼ばれたトップ絵師のひとりで、彼が描く虎の絵は当時も評価が高かったそうです。「虎の岸駒」の異名があったとか。
会場には岸駒だけでなく、息子の岸岱(がんたい)や弟子の絵も展示されていました。

動画内でも紹介していただきましたが(会場内にパネル解説もあります)文化度二の丸御殿の障壁画は京・江戸・地元の絵師による合同チームで手掛けたそうです。
江戸からは狩野派、地元も狩野派が中心だったようですが、江戸後期ともなると狩野派一強じゃなく、むしろ岸駒率いる岸派がメインだったりするのも時代ですよね。

とまあ一部の展示物にしか触れてないのですが、非常に見応えのある特別展でした。
11月26日(日)までやってますので、これから訪問される方は予習として動画を見ていただければと思いますし、すでに見学された方は復習として図録片手にぜひご覧ください。

金沢城二の丸御殿の復元整備についてはこれからも追いかけたいなと思います。

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このあたりの動画も参考になりますね(五十間長屋内で上映されてる動画っぽいです)。


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