おつやの方 の検索結果:
…んが今回向かったのはおつやの方のエピソードで知られる岩村城の城下町。表御門や太鼓櫓が復元されるなど、情緒あふれる城下町はドラマのロケにも使われるなど人気観光地になっています。地元ではカステラが有名とのことですが、もちろん我らが「城もなか」も存在感を発揮しています。しかも意外なコラボ餡を使ってました。おいしそうな写真とあわせてじっくり楽しんでください!! 今回は岐阜県の岩村の城もなかと出会う旅に、城めぐりをしながら行ってきました。 岩村の城というと、言うまでもなく、圧巻の6段石…
…田信長の叔母にあたるおつやの方だ。当時としては当然のことながら政略結婚であり、信長がそれだけ岩村城の価値を評価していた、ということなのだろう。実際、1571年(元亀2年)に景任が死去すると、信長は跡継ぎとして四男(五男説も)の勝長(かつなが)を養子に送りこんでいるほどだ。ただ、彼はまだ8歳と幼い。そこで、しばらくの間はおつやの方が城主ということになった。 2年後、東美濃への進出を企てる武田軍が岩村城に攻め寄せた。この軍を率いるのは秋山信友(あきやま のぶとも=虎繁)という武将…
…―1572)に叔母のおつやの方(岩村御前とも)を、岩村を生家とし苗木遠山氏を継いだ直廉(正廉。?―1570)には妹を要らせた。それだけではない。妹と直廉の間に生まれた娘を養女として引き取ると、信玄の跡取りである武田勝頼に正室として送り込み、しかもその翌年には自らの嫡男・信忠と信玄の娘の婚約まで取り付けたのだ。 ここまでしたのは、信長が戦国最強と謳われた武田軍団と信玄を恐れ、どうにかしてその侵攻を押しとどめようとしていたからにほかならない。この信長の思惑は、遠山氏としても都合の…
…本書の遠山氏の項にはおつやの方という実質的な城主を務めた女性が登場する。しかし、彼女も「後継ぎである養子の代理人」として城を取りまとめていたにすぎない。にもかかわらず、直虎は井伊家を継承し、井伊谷の領主として統治に働いた。これは、当主が盟主に謀反を疑われて殺されたという異常事態に加え、一族の重鎮が認めたこと、そしてなにより「次郎法師」「直虎」という男の名を名乗り、男としてふるまうことで問題を解決したのだろう。 その後、直虎がいつまで井伊谷を治めていたかははっきりとわからないが…
…まま亡くなると、夫人おつやの方の甥にあたる織田信長の五男(四男とも)・御坊丸が跡を継ぐことになった。当主が亡くなったばかりの頃、遠山氏が信長についたためだ。しかし御坊丸はその時わずか6歳であり、当主が務まるはずはなく、おつやの方が実質的な城の主となっていた。 一方の武田氏は景任の死を知り、高遠城主・秋山虎繁(信友)に攻撃を命じた。1572年(元亀3年)の12月に信長に従う遠山氏の諸城を攻撃させ、上村合戦で遠山氏は敗れている。そのため攻撃を緩和する意図で、秋山虎繁の岩村城入城を…