攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

中世城郭 の検索結果:

【家康の城】岡崎城 徳川家康の人生はここから始まった!

…」(せいかいぼり)は中世城郭の様子を示す貴重な遺構と言われています。本丸の北側にあるこの「清海堀」は深さ約10m、幅20m程の空堀で、西郷頼嗣(よりつぐ)の入道後の号「清海」に由来します。西郷頼嗣は1452年(享徳元年)〜1455年(享徳4年)ごろにこの地に城を築き、それが岡崎城の始まりとされます。この清海堀はいまでも良好な状態で残されており、中世の岡崎城を感じることができます。 地形から見る元康の岡崎城 とは言っても、岡崎城の地形自体が大きく変わっているわけではありません。…

最上義光が山形城に瓦葺きの本丸御殿を築いた理由

…という。一般に、城が中世城郭から近世城郭に進化するには、①土塁から高石垣へ、②掘立から礎石建築へ、③茅葺から瓦葺へという変化が生じるが、この変化は同時に生じるのではなく、この①から②を経て③、の順に起こる。つまり城の防御機能を高めて後に、装飾性を高めるという順であり、これは戦国大名にとっては合理的な選択である。 ところが、山形城はこの順が真逆である。なぜこんなことが起こったのか。このことは、九鬼周造が「いき」の三要素のひとつとした武家の「意気地(いきじ)」から考えてよいのでは…

【お城の基礎講座】82. お城の忠実な復元・平成の復元ブーム

…倉氏館は、二元構造の中世城郭として見ごたえたっぷり 岐阜県飛騨市にある江馬氏下館(山麓)には城館が復元されており、高原諏訪城(山上)には曲輪や土塁などの遺構が残る 名古屋城本丸御殿は当時の工法で復元された 【おススメの本を一冊】 「日本の城 天守閣 完全名鑑」です。日本に建てられている現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守、怪しい天守風建物などすべての天守が掲載されている完全保存版です。お城めぐりに必須の一冊。もちろん、たかまる。は持っていますよ。一応、リンク貼っておきますね…

【お城の基礎講座】75. 織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく)

…)の改修にあたっても中世城郭(ちゅうせいじょうかく)の特徴の一つでもある山麓と山頂部分での二元構造を維持しながら、新しい取り組みをしていることも近年の発掘調査から分かっています。そして安土に移って安土城で近世城郭の完成を見たのです。それらは、城の中心部には石垣を用いて本丸には天守を、城内には城主の居館である御殿を設けました。また小牧山城築城の頃から城下町の建設も始まっています。 小牧山城(愛知県)は、信長の城づくりの原点 岐阜城(岐阜県)の山麓にある信長像。ここでも信長は新し…

【お城の基礎講座】74. 中世城郭(ちゅうせいじょうかく)

…今回は武士が築城した中世城郭(ちゅうせいじょうかく)について学んでいきましょう。 中世城郭・武士が築城した城 平安時代までの城は朝廷(ちょうてい)による国家プロジェクトとして、大規模な城が築かれていました。しかしそれ以降になると武士による築城が始まり、城の規模は縮小していきます。武士と言っても国人(こくじん)や土豪(どごう)と呼ばれる階層の人々で、自分の領地を治めている人々のことです。経済力がとても良いわけではなく、一つ一つの城を守る兵の数も少なかったのが特徴です。ひとつの城…

【お城の基礎講座】57. 土塁(どるい)の種類

…る土塁(どるい)は、中世城郭(ちゅうせいじょうかく)だけでなく近世城郭(きんせいじょうかく)においても多用されました。強度を増すための工夫として、植物を植えたり石垣と組み合わせたりされました。今回はこれらの土塁の種類について学んで行きましょう。 種類 土塁(どるい)はもともと土居(どい)と呼ばれていました。土を盛り上げた土塁は、その作り方によって種類が分けられます。 たたき土居(たたきどい) 粘土や小石を土に混ぜてつき固めて築いたものを「たたき土居」と言います。敷が8間で勾配…

【お城の基礎講座】54. 空堀(からぼり)

中世城郭では山城が多く作られました。山城は戦うための仕掛けがたくさん作られていますが、敵を寄せ付けないシステムとして多く作られたのが空堀(からぼり)です。山城から平山城・平城へと変化していった近世城郭でも空堀は進化し続けました。今回はその空堀について、学んでいきましょう。 中世の空堀 山の上の堀 中世の城はほとんどが山城でした。山城の築城術として、城域に敵を入れないようにするために土塁(どるい)を高くしたり、深い堀を掘ったりしました。こうして作られた堀は水のない空堀(からぼり…

【お城の基礎講座】52. 曲輪(くるわ)の名前

…輪のことを指します。中世城郭では、主郭(しゅかく)や本郭(ほんかく)とも呼びます。 二の丸 本丸の次の位の曲輪です。二之丸、二丸とも書きます。 三の丸 本丸、二の丸の次の位の曲輪です。 天守丸・天守曲輪(てんしゅぐるわ) 天守が建っている曲輪が小さいときは本丸と呼ばずに天守丸や天守曲輪(てんしゅぐるわ)と呼びました。 詰丸(つめのまる)・甲丸(つめのまる) 中世城郭での本丸の名前のひとつ。 方位のついた曲輪 本丸から見て東西南北などの方角を名前に使いました。西の丸、北の丸、東…

【お城の基礎講座】50. 曲輪(くるわ)

…くるわ)と言います。中世城郭と近世城郭ではこの曲輪に対する考え方が若干異なっています。今回はその曲輪について少し学んでいきましょう。 曲輪(くるわ)は城を構成する区画 曲輪とは城を構成する一区画のことです。地面を削って平らにならし、堀や土塁で囲んだ部分のことを指します。また曲輪がいくつかまとまって一つの区画を作っているときも、その総称として曲輪という呼び方が使われます。つまり城を構成する単位を表すのが曲輪ということになります。 中世山城の曲輪 中世の山城では曲輪はとても狭く、…

【お城の基礎講座】43.御殿は何で構成されているか?

…多く建てられました。中世城郭(ちゅうせいじょうかく)では山城が多かったため、御殿を建てるだけの広い土地が確保できず、御殿はあまり建てられませんでした。近世城郭の御殿は城主の住居であり、かつ、家臣との対面や政治を行う場所でもありました。つまり城の中でも最も重要な部分が御殿だと言えます。 世界遺産にも登録されている二条城の二の丸御殿 御殿を構成するもの 御殿は大小様々な殿舎(でんしゃ)によって構成されていました。殿舎とは館(やかた)のことです。その数は中小の大名でも10から数10…

【お城の基礎講座】1.城の立地 - 山城・平山城・平城

…山時代以前に作られた中世城郭と呼ばれる城に多く見られる立地です。山に造られたため、堀に水を貯めておくことが困難なので空堀がほとんどでした。 平山城 平山城は山城よりも低い山や丘陵に築かれた城のことです。標高何m以上何m未満といったような定義があるわけではありません。 平城 平城は平らな場所に造られた城で、織豊系城郭以降の近世城郭に多く見られます。平城は立地を活かした縄張り作りが難しいため、周囲を堀で囲み石垣を巡らすのが一般的です。 立地による分類は難しい 概ね、山城は山や丘の…

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