攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

伊勢宗瑞 の検索結果:

【家康の謎・番外編】十八松平と十四松平、あるいは徳川家康のルーツとは

…代、今川の客将である伊勢宗瑞(いわゆる北条早雲)が岩津松平を攻めるという大事件が起きている。この時に岩津城が攻められているということ自体が「つまり攻撃ターゲットの岩津松平こそが本家だったのでは?」と考えられている。 この戦いがもたらしたものは大きかった。岩津松平家の、親長の系統の血筋が数多く討死してしまった。結果として宗家の力が失われ、安城松平家が宗家扱いになっていったし、パワーバランスが安城松平へ偏ったのではないだろうか。ここから分かれたうち、十四松平に数えられるのが、・福…

「三管四職」の延長戦(復習回)を攻城団テレビで生配信しました

…まりとされる→同年、伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆侵攻この結果、将軍家が2系統に分裂した→「義稙系(義材/義稙-(義維)-義栄)」と「義澄系(義澄-義晴-義輝-義昭)」 1507年(永正4年)永正の錯乱(えいしょうのさくらん) 室町幕府管領・細川政元が暗殺された事件。政元はエキセントリックな人だった。→突然諸国放浪の旅に出てしまうとか、烏帽子を嫌って被らなかったとか生涯独身で養子が3人いた。関白・九条政基の末子の澄之、細川一門の阿波守護家から澄元、京兆家の分家の野州家(やしゅうけ…

日本史における「変」と「乱」について対談しました

…杉氏の勢力は衰退し、伊勢宗瑞(北条早雲)の関東地方進出の端緒となった 室町時代 1489年(延徳元年) 山名新九郎・小太郎の乱 山名新九郎、小太郎が伯耆守護・山名尚之に対して起こした反乱。裏で赤松氏が支援 戦国時代 1502年(文亀2年) 第一次伊庭氏の乱 近江守護・六角高頼と守護代・伊庭貞隆(いば さだたか)の間で行われた内紛。高頼は観音寺城を追われるが和解 戦国時代 1507年(永正3年)〜1518年(永正15年) 永正の乱 関東・北陸地方で発生した一連の戦乱の総称。長尾…

戦国時代の足利将軍についてざっくり理解する

…にこの茶々丸はのちに伊勢宗瑞(北条早雲)に攻められ、堀越公方家は滅亡しています。還俗して将軍についた義澄ですが、基本的には細川政元の傀儡でした。そのため「永正の錯乱」で政元が暗殺されるとスポンサーを失うこととなり、周防の大名・大内氏を味方につけた義稙の上洛を許し、義澄は京から近江に逃亡しました。おもしろいのがこのとき義澄が頼ったのは義尚や義稙が討伐した六角氏で、「敵の敵は味方」みたいなことがよくありました。義澄はその後も京への復帰を目指しますが叶うことなく病死し、ふたりの息子…

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