攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

寛永行幸 の検索結果:

二条城で開催された学芸員解説会に参加してきました(遠侍・勅使の間)

…た後水尾天皇の行幸(寛永行幸)にあわせて城域を西方に拡張し本丸を造営、もともとの御殿は大改修されて現存する二の丸御殿に。 この改修(拡張)前後の様子は桝田先生に描いていただいた復元イラストで比較するとわかりやすいです。 (左)家康の築城時(右)寛永年間の改修時 現在、二の丸御殿を見学すると車寄から入って遠侍→式台→大広間→黒書院→白書院と奥に向かい、さらに白書院→黒書院(牡丹の間)→大広間→式台→遠侍と裏側を通って戻るルートになっています。このうち、最後に見学する部屋が今回対…

特別展「桃山─天下人の100年」の後期展示を見てきました

…描いたということで、寛永行幸のための改修前、家康が築いた頃の縄張りが推定されています(なので天守の場所が御殿から見て北西)。狩野永徳の次男で、狩野探幽の父である狩野孝信の作品と伝わっています。 ほかにも三好長慶に代わって足利義輝の肖像画とか、織田信長の陣羽織に代わって小早川秀秋の陣羽織とか、どちらもテンションが上りまくる作品ばかりなので、前期展示をご覧になられた方もきっと楽しめると思います。 一部変更とはいえ、かなりの量の作品が入れ替わっていました。それは(全会期にあたる)2…

「二条城×ネイキッド 夏季特別ライトアップ2020」に行ってきました

…れて看板を読み取ると寛永行幸の際に築かれた天守が画面内に表示されます。 じっさいに表示させるとこんな感じです。夜だし、ちょっとイマイチ。 庭園のライトアップは光源の位置も考えられてるそうで(と以前のイベント時に伺いました)、とくに風のない日は鏡面反射が美しいです。 メインイベントが本丸石垣のプロジェクションマッピングです。 動画も撮影したのでどうぞ。約3分ですが、持ち上げての撮影だったのでちょっと腕がプルプルしてますね。 二条城×ネイキッド 夏季特別ライトアップ2020 百鬼…

二条城で開催された二の丸御殿「黒書院三の間」学芸員解説会に参加してきました

…壁画を案内する場合は寛永行幸までのみの話にとどめることが多いです。(逆にいうと、こうして江戸時代初期の建物と絵画が残っているというのがいかにすごいかということですね) 後水尾天皇の行幸を迎えるにあたり、徳川家は幕府の威信をかけて二条城の大改修工事をおこないます。城も約二倍に拡張し、御殿と天守を新築し(完全な新築は本丸御殿や行幸御殿ですが、二の丸御殿もほぼ新築と言えるほどの改修だったようです)、室内にはすべて狩野派による障壁画が描かれました。 残念ながら現在残っている建物は二の…

二条城で開催された二の丸御殿「式台の間」特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…するときはどうしても寛永行幸に向けた改修になってしまうので、二条城の長い歴史の一部しか紹介できないのがもどかしいですね。 式台の間の役割 まずは二の丸御殿の図面から。今回の対象は雁行型に並んだ建物の右下部分になります。 二条城を訪問した客人はまず「遠侍(黄色)」で待たされ、その後「大広間(緑)」で将軍と対面することになるのですが、中間に位置する「式台の間(赤)」で老中が取り次ぎます。 なお大広間に松の絵が描かれるのは、松が常緑樹であることから永続性(=徳川の天下が今後もつづく…

「二条城夏季ライトアップ2019 -Directed by NAKED-」の見どころを写真と動画で紹介

…ていたからだとか。(寛永行幸の際は能舞台があった場所ですね) 二の丸庭園の鏡面反射は必見 二の丸庭園のライトアップは何度見ても感動します。風がない日は水面の鏡面反射がほんとうに美しいのでぜひご覧になってください。 色とりどりの風鈴の音色も素敵 風がない日は庭園の水面を見ればいいし、風があるときはこの本丸内堀沿いに並んだ風鈴が見事な音色を聞かせてくれるでしょう。この場所は南北に抜けているので少し待ってると風が吹くと思います。 香雲亭では琴の生演奏が 清流園にある香雲亭では今年も…

二条城で開催された二の丸御殿大広間四の間特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…戸時代〜明治時代) 寛永行幸について 洛中洛外図屏風にも多数描かれている 行幸時の東大手門は現在のような櫓門ではなく薬医門になっている 二の丸御殿について 江戸時代のうちに大半の建物が移築されたり解体されたりしている 行幸御殿も移築された 大広間の南西隅で行幸御殿とつながっていた 出っ張り部分(溜まり)は近代まで残っていて、トイレとして使われていた ここにあった杉戸が残っている(杉戸絵は重要文化財に指定) 行幸時、大広間二の間と三の間は猿楽(能)を観賞するために使われた ただ…

二条城で「梅と牡丹の障壁画~廊下を彩る花たち~」のギャラリートークを聞いてきました

…26年(寛永3年)の寛永行幸にあわせて狩野探幽らが新規に描いたものとされています。一般的にこうした障壁画はひとつの様式で描かれるものですが、この「牡丹図」については北側と西側で様式が異なっています。北側の二面は水辺と地面が描いてあり、牡丹の根もとが確認できます。さらに金雲が描かれており、モチーフが重なり合って奥行きのある空間が表現されています。こうした様式は狩野永徳が中心となった桃山期の狩野派の様式です。 一方、西側は地面を描かず、ふすまの下辺からいきなり枝や幹が描かれていま…

【京の冬の旅】妙心寺鱗勝院で春日局の御霊屋と海北友雪の水墨画等を見てきた

…皇が二条城に滞在した寛永行幸のための増改築工事において、小堀遠州は普請奉行をつとめています。その後、行幸御殿を仙洞御所へ移築する際の責任者でもあったので(現在も仙洞御所の庭園には一部だけ小堀遠州が作庭した箇所が残っています)釣殿として使われたこの建物にかかわっていることはまちがいなさそうです。 ちなみに「釣殿」というのは、寝殿造りにおいて池に面して設けられた建物のことです。主殿から池に向かって張り出した廊下の先にあり、水面にかかるように建てられています。クーラーのない時代です…

二条城で開催された二の丸御殿大広間三の間特別入室と学芸員解説会に参加してきました

…親王を招待して歓待(寛永行幸)。その準備として2年前から大改修をおこなう 寛永行幸時の各御殿 本丸御殿は大御所秀忠のための御殿→1788年(天明8年)「天明の大火」で焼失 二の丸御殿は将軍家光のための御殿→現存 行幸御殿は後水尾天皇のための御殿→御所へ移築後焼失 狩野派の絵師たちが障壁画を描く 二の丸御殿大広間 一の間は将軍が座る 二の間は対面の相手が座る 三の間の用途は不明 おそらく二の間で対面する前にここで控えた 寛永行幸の際は秀忠と家光がここから能を鑑賞した(天皇は二の…

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