平戸藩 の検索結果:
…野燭談(ぶやしょくだん)1709年(宝永6年)に成立した歴代将軍や老中など約100名の言行録。著者は木村高敦(たかあつ)が有力とされる。 武功雑記(ぶこうざっき)肥前平戸藩4代藩主・松浦鎮信(まつら しげのぶ)が記した武辺咄(ぶへんばなし)を集めた書物。1696年(元禄9年)頃に成立。 徳川実紀(とくがわじっき)江戸幕府の公式史書。35年ほどかけて、1844年(天保14年)に完成。 ほとんどが国立国会図書館デジタルコレクションで見れるのもびっくりですね。 kojodan.jp
…られている。例えば、平戸藩が編纂した『家世伝』は嵯峨源氏の子孫である源久という人物が下向し、土着したことを始まりとした。一方、数ある『平家物語』写本の一つ、長門本の記述から、前九年の役で敗れた安倍宗任が九州へ流されて松浦氏の先祖となった、とする説もある。このどちらが正しいのか、あるいはほかに真実があるか、明らかにはなっていない。 どのような出自であるにせよ、松浦氏を中心とした武士団の松浦党は北九州に大きな勢力を持ち、中国や朝鮮との距離の近さから貿易商人兼海賊として力をつけてい…
…5代将軍・徳川綱吉は平戸藩の松浦鎮信や筑前秋月藩の黒田長重といった外様大名を幕府の要職に就かせるため、譜代扱いに引き上げたが、一時的なものにとどまった。 さらに別の例を見ると、大坂の陣で活躍した真田幸村(信繁)の兄・信之を初代とする真田家(松代藩)は徳川家との縁の深さからか譜代として扱われ、養子に入った幸貫(松平定信の子)などは老中も務めている。また、豊臣恩顧の大名として関ヶ原の戦いでは西軍につきながら東軍に寝返った中のひとりである脇坂安治(伊予大洲藩→信濃飯田藩)などは、譜…