攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

横堀 の検索結果:

【家康の城】浜松城 家康が大いに学ぶ機会となった城!

…よるものです。特に「横堀」と「馬出」を取り入れたことは非常に大きな変化となりました。2014年(平成26年)には本丸南から幅11m、深さ2mの堀が発掘されており、家康在城時の遺構の可能性が高いとされます。 また、浜松城絵図を見ると「古城」の東側の堀と中枢部の南側の堀は水堀ですが、その中央には堤防上の中土手が設けられていて、この城の特徴の一つです。家康時代に作られたものかどうかまではわかっていませんが、武田築城術を取り込んだ家康の先進性と考えてもよいかもしれません。 遺構は地中…

黒まめさんのオンライン研究会「躍動する熊野の武士団」参加レポート

…術も高い。 説明板 横堀 ⻁口下の石積み ⑤要害山城(馬谷城:うまんたにじょう) 熊野参詣道大辺路富田坂沿いに位置する。境目の城。安宅氏の最前線基地。富田荘(奉公衆山本氏の領域)側の斜面に、畝状竪堀群を設け、厳重に守る。南東尾根は、現在紀勢道要害山トンネルの真上に位置する。 説明板 東南尾根と曲輪Ⅲとを断ち切る堀切 主郭下の切岸 ⑥その他の城 勝山城 標高212m。安宅荘を見渡せる(山頂部が古武ノ森城)。 大野城 河川交通の要所を押さえる。日置川を挟んで、八幡山城の向かい側。…

【お城の基礎講座】66. 馬出し(うまだし)

…れません。東日本では横堀が発達したため、横堀のどこかに出入り口を設ける必要があり、そこをどのように守るかというところから馬出しが発達したと考えられます。武田氏の城では馬出しが多用され、そのほとんどが丸馬出だったようです。逆に角馬出しは北条氏の城でよく見られます。西日本では石垣が早くから発達したため、虎口を守る形としては馬出しではなく枡形が登場しました。馬出しの大きさは100坪ぐらいが標準ですが、城ごとに異なっています。現在ではほとんどが再開発によって遺構は失われてしまいました…

リアル真田丸を見てきました(三光神社、心眼寺、安居神社などを訪問)

…、北に天満川、西に東横堀川などが流れており、文字通り天然の要害でした。 まあそういうところに城を築くのは常道ですからね。 ただし南側だけは台地がそのままつづいているので高低差がなかったんです。大坂城唯一の弱点というわけです。 もちろん秀吉は弱点をそのまま放置するような人じゃないので、南側には空堀をつくったり、城下町を置いて惣構(そうがまえ)を築いたりして、防御力を高めていました。 要は本丸までにいろんな障害物を置いたり、人工的な凸凹を造成したりして、なかなか辿りつけないように…

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