攻城団ブログ

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河越夜戦 の検索結果:

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】名城・名勝負ピックアップ①――夜襲で決着した「後詰決戦」・ 河越城(川越城)

…間で行われた戦いは「河越夜戦(かわごえよいくさ)」の名で知られ、数ある「後詰決戦」のエピソードの中でも特にドラマチックなものとして知られている。そもそもの始まりは、北条早雲を祖とする北条氏が関東地方においては新興勢力であったにもかかわらず、急成長を遂げていたことである。 この勢力は、元は駿河・今川氏に一城を与えられたに過ぎなかった。しかし、伊豆に攻め込んで堀越公方(室町幕府における東国統括の象徴的役職、鎌倉公方の継承を主張した勢力の片方)を倒し、相模に進出して小田原城を奪い、…

【10大戦国大名の実力】北条家④――関東に覇権を築いた氏康の時代

3代・氏康と「河越夜戦」 その氏綱の病没により跡を継いだのが、三代目の氏康だ。そして代替わり直後、危機が迫る。1545年(天文14年)、北条家の躍進に危機を感じた古河公方と両上杉家が中心になって、関東の国人たちのほとんどが参加する反北条連合軍が、北条綱成(ほうじょう つなしげ)が守る武蔵の重要拠点・河越城に攻めよせたのだ。しかも、武田・今川の両家とも手を組んで「北条包囲網」ともいうべきものが形作られたから、絶体絶命の危機だ。 これに対して、氏康はまず武田信玄を頼る形で今川義元…

斎藤道三と高政の親子がギスギスしていた頃、関東では北条家が圧倒的優位に立っていた

…きている。いわゆる「河越夜戦」だ。そもそも戦国時代の関東地方は他地域と比べても激しく諸勢力が入り乱れて争っていた。東北から関東にかけてのトップである鎌倉公方の座をめぐって争う、堀越公方と古河公方の両家(どちらも足利将軍家の分家)、鎌倉公方を補佐して実権を掌握してきた関東管領の一族、山内上杉と扇谷上杉の両家、これらの争いの中に新勢力として殴り込んできたのが北条家で、伊豆の堀越公方を倒してから関東へ着実に勢力を伸ばしてきた、というのが大まかな状況だ。 さて、武蔵の河越城は扇谷上杉…

河越城 奇襲によって大軍を破った戦い

…戦がおこなわれた。『河越夜戦』と呼ばれる戦いで、相模国小田原城主・北条氏康がわずか8千人で8万もの大軍を討ち破っている。 UMA1001 | 市立博物館にある模型[川越城] まずは戦いが起きた背景を確認しておきたい。当時の関東では北条氏が領地を拡大しつつあった。相模を領していた北条氏は領地を広げ、武蔵へと手を伸ばしている。近隣の大名はそれを不安視し、それまで内紛をしていた武蔵の扇谷上杉氏と上野(こうずけ)の山内上杉氏が手を結んだ。 両家は同じ祖を持っており、鎌倉山ノ内、鎌倉扇…

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