攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

福山藩 の検索結果:

知ってる? 水野勝成

… 家康のいとこ 初代福山藩主 水野勝成のエピソードあれこれ その1. 16歳の初陣で15の首級 この時の戦果であの信長から感状を与えられる。普通は初陣で15も首級を上げるなんて無茶はしない。今で言うとインターン中に大型案件を何本も受注する様なものである。勝成、初っ端からエンジン全開だった。 その2. 二千VS一万という圧倒的手數な敵陣を撃退 1582年(天正10年)8月、天正壬午の乱のさなかに起きた黒駒合戦にて鳥居元忠、三宅康貞(みやけ やすさだ)と共に一万の北条勢に二千の兵…

【江戸時代のお家騒動】二の丸騒動 後継者争いも加わり藩内を二分する一大派閥闘争

…化してしまう。忠厚は福山藩主・阿部正福の娘を正室に迎えていたものの、彼女との間には子が生まれなかった。忠厚の子を生んだのは2人の側室で、トミという女性との間に長男・軍次郎が、キソという女性との間に次男・鶴蔵が誕生している。 後継者問題が持ち上がったのは、軍次郎が14歳、鶴蔵が11歳の時だ。忠厚の義父にあたる正福が年始の挨拶に訪れた時、そろそろ後継者の相続手続きを行う頃合いではないかと言ったことがきっかけとされる。年功序列を考えるなら、軍次郎が後継者となるのが当然のことと思われ…

西国大名に対する抑えの城は複数ある?――「点」ではなく「線」で捉えると歴史はもっと楽しくなる――

…が分割されるかたちで福山藩が誕生して、水野勝成が福山城を築城することになります。わずか一年の出来事ですが、こうした前後関係をおさえておくと江戸時代初期における徳川幕府の人事(大名の配置関係と「武家諸法度」を乱用した積極的な減封と改易)が265年間の礎になったであろうことは容易に想像できます。 すべてのお城が「同時に」存在していたわけではないことに注意 いまぼくらはすべてのお城があったことを前提に見てしまいがちですが、姫路城を改修したときには明石城はなく、小笠原忠政が明石城の築…

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