攻城団ブログ

お城や戦国時代に関するいろんな話題をお届けしていきます!

結城秀康 の検索結果:

【現在1761城!】全国の御城印(お城版の御朱印)を販売しているお城の一覧

…日 福井城 御城印 結城秀康バージョン 福井城(福井県福井市) 福井市立郷土歴史博物館 300円 印刷 A6 2023年2月9日 黒田代官屋敷 御城印 令和5年新春 梅まつり来訪記念版 菊川文化会館アエル、黒田家代官屋敷資料館、菊川市観光協会 300円 印刷 縦15cm、横10.5cm 2023年2月5日 佐和山城 御城印 木の御城印 彦根観光センター、彦根市観光案内所 550円 印刷 2023年2月1日 姫路城 御城印 池田家家紋版 姫路城(兵庫県姫路市) 姫路城売店 30…

【家康の謎】家康の領地の石高はどのくらいあった?

…万石(うち10万石は結城秀康のもの)へ移ったのがそのような豊臣政権内での立場によるものと考えられる――というのもまた、すでに見てきた通りだ。 最後に、大河ドラマにおける未来、関ヶ原の戦い後の徳川の領地を見てみよう。関ヶ原後、豊臣家の蔵入地(直轄領)の大部分および西軍諸大名の所領が没収され、それらは論功行賞に加えて徳川家の直轄地に当てられた。この関ヶ原戦後の徳川家の領地は一般に400万石とされる(徳川家の蔵入地ということだと、大坂の陣後だが約230万石という数字もある。おそらく…

大晦日に攻城団テレビで〈【大河ドラマ直前予習企画】どうした家康〉をライブ配信しました

… 家康も次男(のちの結城秀康)を人質として出すことに。石川数正の子(のちの石川康勝)と本多重次の子(のちの本多成重)が付き従った 秀吉と和睦する? 1585年(天正13年)、44歳 第一次上田合戦 @徳川・北条の和睦の条件(領土協定)は「切り取り次第」だったので、上野国沼田領について北条氏は真田から奪い取らなければならなかったが、真田昌幸は矢沢頼綱に沼田城を死守させる 家康は対上杉の最前線とするため、上田城の築城を支援している しかし督姫と氏直の婚姻が成立して同盟が結ばれると…

【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】悲劇の舞台⑤――お市の方が殉じた城・北ノ庄城

…るが現存せず、のちに結城秀康によって築かれた北ノ庄城(福井城)は勝家の城から北方へ200メートルほどの場所に築かれたらしい。 本能寺の変による織田信長の死後、勝家は羽柴(豊臣)秀吉との後継者争いを演じることになった。信長の妹を娶ることになったのも、その延長線上のことである。両者とその支持者による争いが激しくなる中、1583年(天正11年)に「賤ヶ岳の戦い」が起こる。この戦いに敗れてしまった勝家は北ノ庄城に引き返したが、そこに追撃の秀吉軍が迫る。北ノ庄城側に援軍のあてはなく、敵…

【10大戦国大名の実力】伊達家④――地方勢力の栄光と悲哀

…継いだ関係上、次男の結城秀康を始めとする兄弟や親族が新たな動乱の火種となる可能性があったのだ。 そんな中で政宗が接近したのが六男の松平忠輝(まつだいら ただてる)である。この人物は兄・秀康と同じく父・家康に嫌われた子だったが、政宗は彼を長女・五郎八姫(いろはひめ)の婿としている。この政略結婚自体は徳川家との接近を目指したものと考えられているが、その一方で政宗には忠輝及びその補佐役である大久保長安と結託しての幕府乗っ取り計画があったのでは、と見る向きもある。特に大久保長安は幕府…

【江戸時代のお家騒動】越前騒動 市川雷蔵主演映画にもなった史上名高い殿ご乱行

…い 徳川家康の次男・結城秀康の子である松平忠直は1607年(慶長12年)に父の死を受けて家督を継ぎ、68万石を譲り受けた。忠直の「忠」の字は将軍・秀忠から一字を賜ったものであり、また1611年(慶長16年)には秀忠の三女・勝姫を正室に迎えており、彼の「特別扱い」がよくわかる。 この時の騒動は、重臣同士の勢力争いだった。まず、領地問題から領内で1万石を有する久世但馬と、町奉行の要職にあった岡部自休が対立。これがきっかけとなり、藩内の派閥抗争が激化する。すなわち、但馬が所属してい…

【江戸時代のお家騒動】越後騒動 家康のひ孫が当事者となった後継者争い

…徳川家康の次男である結城秀康、そして三男である徳川秀忠の孫にあたり、御三家に次ぐ名誉ある血筋を引く人物であった。それだけに、この事件は注目されることとなったのである。 事件の発端は光長の嫡子が亡くなり、後継者を巡る争いが起きたことだった。家老の小栗美作は光長の異母妹を妻にしていたことから、わが子の小栗掃部を藩主にしようと企んだという(反対派による流言とも)。これに対し、荻田主馬は光長の異母弟である永見大蔵を立てて、これに対抗した。この争いの背景には、もともと美作の政治が傲慢な…

【お城の基礎講座】76. 江戸時代・慶長期(けいちょうき)の築城ブーム

…城で、徳川家康の子・結城秀康の居城だ 彦根城跡(滋賀県)も天下普請で作られた城 駿府城跡(静岡県)は徳川家康の隠居城 名古屋城(愛知県)は豊臣包囲網の最大の城として、天下普請によりつくられた まとめ 慶長期の築城ブームは関ヶ原の戦いがあった慶長5年(1600年)から慶長20年(=元和元年、1615年)までの15年間でした。この築城ブームによって建築技術の飛躍的な進歩があり、また全国に伝播するなどして現在のお城のイメージである近世城郭が一気にピークを迎えたのです。この頃建てられ…

1.譜代大名の定義

…、2代将軍秀忠の兄・結城秀康を祖とする越前松平家、3代将軍家光の弟・保科正之を祖とする会津松平家、6代将軍徳川家宣の弟で・松平清武を祖とする越智松平家などが代表例だ。逆にいえば、家康とその父系の末裔から分かれたものだけが親藩で、松平一族であっても「十八松平(十四松平)」のような家康以前から分かれた一族や、家康の娘・亀姫を迎えて松平を名乗った奥平松平家などは譜代大名である。 また、石高が1万石未満の者も、いくら徳川家に長く仕えていようと譜代大名とはされない。彼らは「直参」とされ…

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