豊臣秀長 の検索結果:
…を担当して兄を支えた豊臣秀長(とよとみ の ひでなが) を挙げるかもしれない。しかし、秀吉を支えた家臣団の中にはもうひとり、軍師的な役割を担った重要な人物がいる。彼の名は蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)。蜂須賀小六、という名前の方が通りがいいだろうか。 彼は尾張国(現在の愛知県西部)海東郡は蜂須賀村の出身で、木曾川筋を支配する小豪族、土豪の首領だった。小説などでは野盗の親分として書かれることもあるが、これは否定されている。美濃の斎藤道三を始めとして幾つかの主に仕えた後、織田信…
…(一)武田信繁(二)豊臣秀長(三)朝倉宗滴(四)島津四兄弟幼少から共に過ごした側近(五)片倉景綱(六)島左近(七)直江兼続(八)鍋島直茂大名のブレーンといえば僧侶(九)太原雪斎天下人にナンバー2はいたか(十)明智光秀(十一)石田三成(十二)徳川家康 第五章 巨大官僚組織・江戸幕府の舵を取った幕閣江戸時代の始まり〈一〉本多正純と土井利勝〈二〉酒井忠勝〈三〉松平信綱〈四〉徳川光圀〈五〉保科正之〈六〉酒井忠清(七)堀田正俊(八)牧野成貞と柳沢吉保(九)間部詮房(十)新井白石門閥譜代…
…の豊臣政権においては豊臣秀長の所領となっていた。柳生氏もその支配下に置かれていたはずだが、それがどのような形であったのかははっきりとした史料に残っていない。 ただ、まったく武士をやめてしまった、というわけではなさそうだ。1594年(文禄3年)、いわゆる太閤検地において隠田(税を納めず秘匿した田畑)を指摘された柳生氏は、先祖代々の所領2千石を取り上げられてしまっているからである。これは柳生氏に恨みを持つものによる密告であったという。この頃には家厳はとうに亡くなっている。だから、…
…国を放浪。蒲生氏郷や豊臣秀長といった名だたる将に仕えたのち、石田三成の家臣となった。 三成は豊臣政権で五奉行を務めた人物であり、典型的な官僚タイプである。決して武功がないわけではないが、小説『のぼうの城』で有名な忍城攻めの失敗(小田原征伐の際、北条方の城に水攻めを行うも失敗、非常に攻めあぐねた)などの例を見ても、戦場の猛将ではない。 そこで彼は武勇で知られた清興に目をつけたのだが、その誘い方が凄い。なんと、三成は当時の自分の所領四万石のうち一万五千石(一説には二万とも)を割く…