長府藩 の検索結果:
…はずだった男 長門国長府藩の毛利家は長州藩(長門国萩藩)毛利家の支藩にあたる。長府藩の初代藩主である毛利秀元は、本来は本家の当主となるはずだったのに、それがかなわなかった男である。 秀元は毛利元就の四男である元清の子で、毛利本家の当主である輝元のはとこにあたる。この輝元には実子がなかったために、1592年(天正20年)、13歳のときに秀元が養子となり、後継者候補となっていた。実際、養父の代わりに「文禄の役」で総大将を務めるなどの活躍もしている。 またちょうどこのころ、秀元が豊…
…の藩主で親戚にあたる長府藩主の毛利秀元(この人物については3章で詳述)とも仲が悪かった。秀元の娘を妻に迎えたのに、離婚してしまったからだ。かつて、戦国時代には毛利元就を中心に3人の息子ががっちりと手を組み(「三本の矢」の故事で有名)、団結力を武器にした毛利家がこの有様なのだから、もし元就があの世からこの様子を見ていたら、どれほど嘆いたことだろうか。 領地争いは意外な結果に そんな藩同士の対立を背景とし、ついに事件が起きたのは就隆の四男・元次(もとつぐ)が徳山藩主であった頃、1…